茨城県茨城町立青葉中学校で講演する杉良太郎さん(2024年12月19日、写真:共同通信社)

(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)

※本稿は『77歳、喜寿のリアル』(勢古浩爾著、草思社)より一部抜粋・加筆したものです。

 2024年9月、俳優の杉良太郎が80歳になった傘寿のお祝いが都内のホテルで開かれた。『芸能活動60年 福祉活動65年 傘寿「感謝の宴」』である。

 出席者のなかには、テリー伊藤、山本譲二、高島礼子、的場浩司、EXILE HIROなど多くの芸能人のほかに、衆議院議長(以下、肩書は2024年9月当時)の額賀福志郎、自由民主党元幹事長の二階俊博、元総理の菅義偉、公明党代表の山口那津男、国民民主党代表の玉木雄一郎ら政治家たちも含まれていた。

 そのパーティの席上で杉良太郎が語った挨拶が、感動的だった。

筋金入りのボランティア活動

 杉は芸能界に入る前から、「何か世の中のために1つでも役に立ちたいんだっていう気持ち」がずっとあったという。

 中学3年生で刑務所の慰問で歌を歌ったのが、一番最初のボランティア体験だった。

「その頃から養老院をめぐって、また身障者の子どもたちのところへ行くという習慣がついていった」

 15歳から80歳までつづく杉良太郎のボランティア行為は筋金入りである。

 芸能活動60年のあいだに、私財40億円以上を福祉活動や寄付に投じてきた。東日本大震災や能登地震のときには、現地で大規模な炊き出しもやった。

「頑張ろう三鉄の集い」で三陸鉄道宮古駅の一日駅長となり、ポーズをとる杉良太郎さん、清水宏保さん、山本譲二さん、瀬川瑛子さん、伍代夏子さん(2011年6月、写真:共同通信社)

 ベトナムでは学校や孤児院を建て、何百人もの孤児を養子にした。刑務所の「特別矯正監」をやり、受刑者の待遇改善や出所後の更生についても尽力している。

 それでも、いつまでたっても「偽善」だの「売名行為」だのといわれる。

 こういうことをいう卑しい人間はつねにいる。

 しかし杉はもはや、そんな連中をまったく相手にしていない。