(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
言葉は時代によっても、人によっても、また立場によっても、異なる意味が込められる。最終的に、信用できる言葉と信用できない言葉に大別される。その信用度は、それを口にする人間の普段の言動の信用度にかかわっている。
日本人は言葉に関しては、世界でも一、二を争うほど繊細で、感覚の微細なちがいをいい表すのに、豊饒な語彙を創造・蓄積してきた。
言葉に信用を置く人間は、著名人の語録に魅きつけられ、学業や経営や、人生の指針にしようとする。
しかしもちろん、その対極にこんな人間もいる。
言葉なんか使い捨てでいい。所詮、自分を飾り、保身のためのものだから、うそをついてもいい。いい人間のふりをすることなど、朝飯前だ。
自分の言動が非難されても、証拠がなければけっして非を認めず、その場しのぎの、おざなりな言葉でやりすごせばいい。
こういう思考が支配していると考えられるのが、政治家と官僚の世界である。
不倫男の決めぜりふが出た!
自由民主党の山田太郎参議院議員(56)が、20代女性と不倫をしていたことがわかり、かれのHPで謝罪した。
こんな程度の不祥事はいまさらだれも驚かないが、謝罪の言葉が相変わらずバカであった。
「この度は、私の不徳の致すところにより、大勢の方々に多大なご迷惑とご心配をおかけしておりますこと、深くお詫び申し上げます」
出た! 「私の不徳の致すところ」。
こういうことをしでかした男は、ほぼ全員「私の不徳の致すところ」というのである。