今年の4月、『週刊文春』が、黒岩祐治神奈川県知事の20年前の11年間に及ぶ不倫を報じた。相手の女性に黒岩氏が送った猥褻な下衆メールの内容が、前代未聞の大変なもので、ネットで盛り上がったようである。
これは黒岩知事の人間的・政治的生命にとって、致命的なスキャンダルではないかと思われたが、どっこいかれは、「11年間にわたって不倫関係にあったのは事実。相手の女性を深く傷つけ、妻を裏切ることとなった。私の不徳のいたすところで、大変申し訳ない」と常套句の羅列で謝罪し、圧倒的な結果で4選を果たしたのである。
まあこういう場合ほかにいいようもないだろうとは思う。個性なんか出してもしょうがない。ひたすら現在の苦境が過ぎ去っていくのを、頭を低くして待つほかない。
「不徳の致すところ」とは、形式的とはいえ、自分は徳のないバカな男ですと自分で認めているわけなので、どうかこれで許していただきたい、といっているのだ。これは恰好をつけた、便利な言葉である。この言葉には反省のかけらもないのだ。
山田議員はまた、「妻はこんな私の軽率な行動を許し、やり直そうと言ってくれました。そのような妻に対して生涯をかけて償ってまいります」と、書いている。
妻には「生涯をかけて償う」。これもまた最近流行りの紋切り型の言葉である。だれひとりも信用するものはいない。いったいどうやって償うのだ?
しかし山田議員は、文部科学大臣政務官を辞任したことで(ただし議員辞職はしない)、このありふれた騒動は終わったのである。
と思っていたら、終わってなかった。
「重く受け止めている」と軽く言う
岸田文雄首相が、文科政務官を辞任した山田太郎参院議員について「任命責任を重く受け止めている」と釈明したことを、共産党の小池晃書記局長が批判したのである。
「いつも何かある度に任命責任、任命責任とおっしゃるんですけど、口だけじゃないですか」
これはまったくそのとおりである。