(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

 長野市で、「子どもの声がうるさい」というたった1軒の住民からの苦情を受けて、市が公園を廃止するというニュースが波紋を広げた。

 これについては、長野県の県民性ともいうべき視点から、すでに考察している(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73092)。

 そこでも触れたことだが、長野県の出身と聞いて他県の出身者が抱くイメージは、大学の進学と同時に上京した私に浴びせられた言葉からよくわかった。いわく、「教育県」「理屈っぽい」「まじめ」「頭が硬い」「頑固で融通が効かない」などなど。もっとも、それは昭和の終わりから平成にかけてのことだったが、それでもその後もしつこく言われ続けた、もうひとつ強烈なインパクトを残す言葉がある。

「長野って、虫、食うんだろ?」

 まるで文化の違いというよりも、文化が未開であるように蔑み、異人種として気持ち悪がるような視線を伴う言い回しだった。

※4ページ目に食材の写真があります。閲覧時にはご注意ください。

稲作が盛んな地域ではイナゴを食べるのは当たり前

 確かに私は、子どもの頃に虫を食べて育った。それも1種類や2種類ではない。ただ、それも通年のことでもなければ、季節性もあって希のことだった。

 むしろ、先月には世界人口が80億人を超えたように、増え続ける人口に国連食料農業機関(FOA)は、「食用昆虫─食料と飼料の安全保障に向けた将来の展望─」と題する報告書をすでに2013年に公表して、食料問題の解決策のひとつに、昆虫を食用としたり、家畜の飼料にしたりすることを推奨している。まして、ロシアのウクライナ侵攻によって、世界の食料危機が現実的なものになって、もうすぐ1年が経とうとしている。世界には虫を食べる文化や風習が多く存在するし、食料としての虫が存在価値を高めつつある。

 いい機会なので、私の身体を育んだ虫を食べる歴史と、食料事情の取材で知った世界の虫食文化について綴ってみたい。