事件の背景を想像することなく裁判を処理

――信じがたいですね。

岩瀬 さまざまな証拠や資料を何度も比較しておかしな点がないか確認し、警察の仕事、検察の仕事、弁護士の仕事それぞれを精査し、さらに被告人の背景を想像しながら最も上の立場として判断していく。それが裁判官本来の職務でしょう。ところが今の裁判官にそのようなことを求めるのは難しくなっている。

 裁判官といえば、昔は家庭を顧みずに仕事に打ち込むのが当たり前とされてきましたが、現在ではワーク・ライフ・バランスも必要とされるので、仕事ばかりというわけにもいかない。家庭問題から不祥事を起こす裁判官もいますからね。さらに人事では組織の枠に縛られてもいる。そうした多くの難題を抱えた裁判官が「あるべき姿」で人を裁くのは、本当にエネルギーのいることだと思います。

 だから現在の裁判官は、より合理的に無駄なく、担当の事件をスピーディーに処理をしていくように見えます。

――そういう話を聞くと、裁判に対して絶望的な気持ちになってきますね。

岩瀬 一方で、原発訴訟、一票の格差訴訟などの国民生活に関わる重要な裁判で組織、つまりは最高裁の意向に抗い、良心に従い、公正な判断を下している裁判官がいることも事実です。

 裁判所という組織自体も三権分立で独立したものとされていますが、人事権と予算査定権を立法府と行政府に握られているため、実は私たちが想像しているほど強固な存在ではないのです。そして、その彼らに私たち国民は、命を預けることになるのです。だからこそ、裁判所の仕組みや「あるべき裁判官」の姿からズレた裁判官を批判することが大切なんです。批判がなければ変化は生まれませんし、批判によって制度をより良くすることは可能です。

 裁判制度は、社会にとってとても重要な制度であるにもかかわらず、私たちはその構造をよく知らない。法曹界を目指す若い人たちにしても大差ありません。少しでも多くの人に、この「隔絶されたサンクチュアリ」とそこで働く裁判官の素顔の一端が見えるよう、本書が役立ってくれればと願っています。