スーパーエリートも性根はサラリーマン
――そうした法曹関係者の取材の成果として、不遇をかこった裁判官のエピソードも多く登場しますね。
岩瀬 たくさんの裁判官に会ってみて、裁判官は憲法に謳われているほど組織から独立した存在ではないことが分かりました。1人ひとりはサラリーマンで、人事によってがっちりと行く末を握られている。彼ら裁判官は、最難関といわれる司法試験を突破した人の中でも、優秀かつ、裁判実務などを学ぶ司法研修所での成績も上位だったスーパーエリートたちです。そんな選ばれし者は、「正解が分かる」人ではありますが、裁判官にとって必要な資質である「心からの謙虚さ」を兼ね備えているかというと、必ずしもすべてがそうではない。「人生の苦悩と悲哀を理解しつつ良心に従って人を裁く」のが理想の裁判官とされますが、実際には「正解指向」で、先例重視に走りがちな人たちが多いように感じました。
つまり狭い特殊な「裁判官ムラ」の中で、定年までの40年近くさらに選ばれ続ける存在になるよう、あるいは同期に遅れないよう、先例という正解から外れることを恐れるようになるんですね。「考える力」を発揮して、良心に従って上司と違う意見を出したり、国を負けさせたりするのは「正解」から外れていくことです。その結果、変わり者というレッテルを貼られたり、人事で差別を受けたりして出世できなくなることを覚悟する必要がでてきます。
――裁判官というだけで相当なエリートだと思いますが、出世コースから落ちこぼれるとどうなるのでしょう?
岩瀬 傍証のひとつとして、本書では裁判官の給与を示しました。フリーランスの私からすればいちばん下の判事補12号でもすごい額じゃないかと思うのですが、彼らはスーパーエリートのプライドもあるので、給料の多寡より、評価が落ちることへの恐怖の方がはるかに大きいんです。
そういう組織社会の中で、リベラルな活動に参加したために人事で差別された人もいるし、あるいは上司の出世のために良心に従った判断を下せず、最高裁の意向に従った判決を書いたりしたという人もいます。
一方で、人が人を裁くという仕事を、薄氷の上を歩む思いで全身全霊を捧げている裁判官もいる。こちらがたじろいでしまうほどでした。私の取材に本音で話してくれた裁判官や裁判官OBはみな、「本来のあるべき裁判官の姿」について訴えたかったのではないでしょうか。独立した権力を持つ裁判所の中で、一定の枠からはみ出さないように厳しく統制され、それに甘んじているようではダメだという思いは、逆に言えは枠の中でもがき苦しむ裁判官でもあります。そんな裁判官たちの姿を私たち国民は知りません。