問題意識を持つ裁判官たち

――裁判官を引退した人でも、裁判官の考え方や生態についてあれこれ話す人はいないように感じます。話を引き出すのに相当苦労されたのではないですか。

岩瀬 私自身、裁判官という権力に対し最初のうちは恐れを抱いていました。ただ、知人の紹介で出会った元裁判官がキーパーソンとなり、厚いベールを少しずつめくることができたように感じます。その人を何度も訪ねるうちに貴重な資料を貸してくれるようになり、返しに行って感想を話す、それに対して意見をくれる・・・といったやりとりを重ねながらだんだんと、裁判所の組織構造や裁判官の素顔に近づくことができました。

 その方は実に優秀であるばかりか、人間的にも立派な方で、本来なら最高裁長官になっていただろうという人です。その人が「今の裁判所や裁判官はおかしい、あるべき姿から外れている」という明確な問題意識を持ち続けている。だからこそ話してくれたし、さまざまな解説もしてくれました。

 その方が私のつたない問題意識に辛抱強く付き合ってくれたおかげで、他の裁判官に会いにいったときに、的確な質問ができるようになり、さらに多くのことを引き出すことができるようになったんです。

 裁判官の世界は狭いので、問題意識が似通った人々同士でつながりがあります。新しい取材を申し込んだらすんなりアポがとれるので不思議に思っていたら、「君が取材していることは聞いていますよ」なんて言われたりする。今の司法に問題意識を持っている人の間で噂になっていたようなんです。これは固く閉ざされていた門がふっと開いていくような体験でした。

 ですから、紹介で出会ったその方が導いてくれなければこの本は書き上げられなかったし、そこから繋がっていった人たちの問題意識が、私をしてこの本を書かしめたのだという気がします。分かりやすくまとめるのは苦労しましたが、書いているうちにだんだん文章がはまっていくような不思議さがありました。

 また自衛隊のミサイル基地建設を巡る裁判で、地裁の所長が、その訴訟を担当した裁判官に原告の申し立て却下を示唆するメモを渡していた「平賀書簡問題」では、当事者の3人から直接お話を聞くことができるという幸運もありました。

 そういう巡り合わせの下に出来上がった本です。

(撮影:坂元希美)

法曹向けの書籍はとにかく分かりづらい

――法曹界のエピソードはそれ以外の世界の人々にはあまり知られていませんし、書かれたものも専門家に向けたものが多く読みづらいものが多い。そうした中で、岩瀬さんの今回の著作は読みやすさ、分かりやすさという点では傑出していますね。

岩瀬 一般の人に読めるように、特にこれから法律家を目指す学生が実感を持って読めるよう、難しい法律問題を分かりやすく翻訳しようという意図もありました。

 たとえば「疑わしきは被告人の利益」という刑事裁判の鉄則を最高裁が判決で示した「白鳥決定」は、法学部の学生が読む本には必ず出てくるものです。でもその学生たちでさえ、知識として覚えるけれど、背景はよく分かっていないんじゃないかと思ったのです。

 そこで「白鳥決定」が出された背景や経緯をたどることで、現在に至るまで裁判所が権威を重んじ、冤罪被害者を救い出す再審制度を形骸化させてきた実態が浮かび上がってきました。