人生の中で専門家に命を預けなければならない場面に出くわすことがある。病気をしたら医療者を、犯罪に巻き込まれたら法律家を探して、なるべく安心できる相手に命運を委ねたいと思うだろう。しかし、自分ではまったく選ぶことも拒むこともできない相手が命運を左右するのが、裁判だ。裁判官は、人の命のみならず、国家をも相手に裁きを下す存在である。

 三権分立によって強大な権力を持つ裁判所と、そこに属する裁判官はどんな組織であり、人間なのか。4年にわたる綿密な取材による『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』(講談社)を上梓したジャーナリストの岩瀬達哉氏に話を聞いた。(聞き手・構成:坂元希美)

足掛け4年の取材成果

――岩瀬さんはこれまで年金や政治家、大企業をテーマに扱ってこられましたが、今回、司法を取り上げたのはなぜでしょう?

岩瀬達哉氏(以下、岩瀬) もともとは講談社の編集者から薦められたテーマでしたが、職業柄、私自身の記事が名誉棄損だと訴えられ、裁判で争った経験がありました。裁判の当事者になってみて気づいたのですが、どんな人がどういう仕組みで私を裁くのか、分かっているようで実はよく分かっていなかった。自分の人生を大きく変えてしまうほどの制度なのに、何も分かっていなかったんです。だったら、そこを解明するのはメディアの仕事として大きな意味を持つのではないのか、と考えました。

 だけど素人にはかなり難しいテーマですし、ある法曹OBに「裁判所を批判すると、その後、あなたが当事者になった裁判で厳しい判決を下されるよ」という助言をされたりして躊躇もありました。でも、裁判所の実態が書ければ読者の知る権利に応えられるのではないかと、失敗覚悟ではじめることにしたのです。

岩瀬達哉:1955年、和歌山県生まれ。ジャーナリスト。2004年、『年金大崩壊』『年金の悲劇』(ともに講談社)により講談社ノンフィクション賞を受賞。また、同年「文藝春秋」に掲載した「伏魔殿社会保険庁を解体せよ」によって文藝春秋読者賞を受賞した。他の著書に、『われ万死に値す ドキュメント竹下登』(新潮文庫)、『血族の王 松下幸之助とナショナルの世紀』(新潮社)、『新聞が面白くない理由』(講談社文庫)、『ドキュメント パナソニック人事抗争史』(講談社プラスアルファ文庫)などがある。本作『裁判官も人である』は、第68回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。(撮影:坂元希美)

――それまであまり精通していなかった裁判制度を扱うにあたって、取材はどこから始めたのですか。

岩瀬 まずは基礎知識が必要だと思って、法学部の学生が読むような書籍から始めて一通りの資料を読み込んでいきました。そうしているうちに、どうも裁判所を運営する“司法行政”に問題があるのではないかと感じるようになったんです。

 法曹関係者が書いた資料は緻密なんですが、背景が見えなかったり、現場の苦悩や問題意識は語られていても、全体の構造が分からなかったりしました。司法行政の仕組みや最高裁判所がどういう組織で、何をしているのかは資料をいくら読み込んでも見えてこなかったんです。

 そこで、それまで私がやってきた取材と同じようなスタイルで挑戦してみようと発想を変えてみました。つまり裁判制度の原点・経緯・構造を探っていくために、まずは川下にあるエピソードを集めて、そこから遡って経緯を追い、源流とも言うべき戦後の司法制度が整備されていく過程や裁判所を運営する司法行政の仕組みなどに迫る必要があると考えたわけです。そのために、現職裁判官や裁判官OBにのべ100人以上に取材をしました。