2024年11月1日、ハローキティ50周年をサンリオピューロランドでお祝い 写真/AP/アフロ
(鷹橋忍:ライター)
NHK連続テレビ小説『あんぱん』も最終回が近づいてきたが、妻夫木聡が演じる八木信之介と、主人公のぶの妹・河合優実が演じる蘭子の関係が話題になっている。そこで今回は、八木信之介のモデルの一人とも噂される、サンリオ創業者・辻信太郎氏を取り上げたい。
学生時代から商才を発揮
辻信太郎は昭和2年(1927)、山梨県甲府市で生まれた。
やなせたかし(本名は柳瀬嵩/以後、柳瀬嵩と表記)より8歳年下となる。
辻家は500年も続く旧家であり、当時、甲府の中央で旅館二つと料亭三つを営んでいた。
これを切り盛りしていたのが辻信太郎の母で、父は婿養子だったという。
辻信太郎には子どもの頃、「どこに行くにも、二人の女中つきだった」という記憶があり、相当に裕福な家だったのだろう。
ところが、13歳、中学二年生の時、母が亡くなると、身代は伯母に移り、父は辻家を出た。
当初、信太郎は伯母に預けられ、戦争が激化すると、父の親戚の元に疎開する。どちらでも辛く悲しい思いをしたという(以上、辻信太郎『これがサンリオの秘密です。』)。
学業は優秀で、名門の旧制甲府中学に入学している。
中学生時代は詩が好きで、信太郎自ら書いた詩も残っている。
昭和20年(1945)、辻信太郎は桐生工業専門学校化学工業科(現在の群馬大学理工学部)に入学し、応用化学を専攻した。本当は文科に進みたかったが、太平洋戦争末期であり、徴兵を避けるために理系を選んだという。
同年夏に終戦を迎えると、信太郎は学校で習った応用化学の知識を生かし、友人たちとズルチンやサッカリン(どちらも人工甘味料の一つ)、石鹸や焼酎などを作っては闇市で売り、大いに儲けている。この頃からすでに、商才を発揮していたのだ。
闇市で儲けた金で遊び回り、自由奔放な日々を過ごすも、信太郎は病に冒され、甲府に帰ったという(辻信太郎『これがサンリオの秘密です。』)。