テレビでは毎日のように大食い番組が放送されている。写真はイメージ(写真:chomplearn/Shutterstock.com)

民放キー局のバラエティー番組で、「爆食」が定番になっている。一方、コメの価格高騰が社会問題となり、国内外で貧困に関するニュースが後を絶たない。放送の主体であるテレビ局も、「爆食」番組を応援する多くのスポンサーも、貧困や飢餓などの解決を目標としたSDGs推進を標榜している。果たしてそんなことを語る資格があるのだろうか。

(岡部 隆明:ジャーナリスト)

テレビが享受する「自由過ぎる自由」

「令和の米騒動」が続いています。

「コメは買ったことはありません。売るほどあります」という失言で江藤拓農相が辞任に追い込まれました。国民にケンカを売って、不興を買ったのです。

 コメディーのような辞任劇ですが、とても笑えず、「食」に対する不安や不満は募る一方です。もっとも、テレビはそんなことはお構いなしのようです。

 5月5日のゴールデンタイムに『大食い王決定戦2025』(テレビ東京)が放送されました。大食い自慢のフードファイターたちが、カレーライス、きつねうどん、寿司、しゃぶしゃぶ、肉そばなどを制限時間内に、どれだけたくさん食べられるかを競う番組です。

 私はこれまで、この種の番組を敬遠してきました。というのも、「食べ物を粗末にしてはいけない」「食べ物で遊んではいけない」と、食に関してかなり厳しい「しつけ」を受けてきたこともあり、「命をありがたくいただく」という精神から乖離した番組には抵抗があったからです。

 ただ、「36年の歴史、90回大会」と銘打っていて、「長年、多くの人の支持を得てきた」と自慢したいのか、正当化したいのか・・・。そんなことが気になり、番組を見ました。

 ファイターたちの真剣さは伝わりましたが、やはり共感できませんでした。むしろ、現実から遊離した、「自由過ぎる自由」な世界がそこにあるという違和感が上回りました。

 連日、コメの価格高騰のニュースが流れています。また、日本国内の7人に1人の子どもが相対的貧困状態(厚生労働省調査)です。社会の現状に無頓着で、「それはそれ、これはこれ」と都合良く、世界を切り分けていないでしょうか。自由奔放にもほどがあるような気がします。

 海外に目を向けると、パレスチナ自治区ガザでは「5人に1人が餓死の危機に瀕している」との報告を国連が発表しました(5月13日)。そんなニュースに触れると、たとえ表層的であっても、日本がいかに平和で豊かであるのかを実感します。

 お金を払えば肉でも寿司でも好きなものを食べられる自由があります。そして、その自由のもとで、大量の食材を異常な速さで消費する姿を放送する自由、つまり「表現の自由」がテレビにはあるのです。

 しかし、それは矩を超えた自由であり、安易に享受すべきものではないと思います。