NHK連続テレビ小説『あんぱん』との違い
『大食い王決定戦』を放送したテレビ東京は、日本経済新聞社グループということもあって、他のどの放送局よりも真摯に経済ニュースを伝えています。日本の食を巡る課題や、世界の貧困問題について、これまでも報道してきて、これからもしていくのだと思います。ニュースで「飢餓」を伝える一方で、バラエティーで「飽食」を賞賛することの不整合を感じざるを得ません。
番組のエンディングで、「大食いの選手たちが食べた合計は150kgでした。同じ重さのお米を児童福祉施設等に寄付させていただきます」というテロップが表示されました。後ろめたさの穴埋めなのか、意図はわかりませんが、お米の入手が困難な状況で、150kgもの米をどのように調達して、具体的にどこへ寄付するのでしょうか。テロップの予告だけでなく、実際に映像で見せてほしいところです。
ここまで縷々述べてきましたが、あくまでこれは私の感想であり意見に過ぎません。「大食い」に限らず、趣味・嗜好は千差万別で、番組の好き嫌いも個人差があります。「見たくなければ見なければいい」と言われると確かにその通りです。
しかし国民の財産である公共の電波を使う放送局の社会的責任は重いはずです。だから発信する内容について、公共の利益に資するものかどうか冷徹に見つめる必要があります。「情報の浪費」ではないか?「映像の暴力」ではないか?・・・など、放送の健全さを問う視点を持つことは重要だと考えます。
現在放送中のNHK連続テレビ小説『あんぱん』では、タイトルにもなっている「あんぱん」が幸福や癒しの象徴として描かれて、心が暖まります。人と人との絆の中で今を生き、明日に向かう中で、「食」が果たす役割の大きさについて改めて考えさせられます。
それを踏まえると、大食いを競うテレビ番組は対照的で、現代の消費社会の負の側面を反映していると言えます。「食」を消耗品として扱い、「どれだけ消費できるか」という刹那的な娯楽の追求は、いかにも現代的なのかもしれません。しかし、一見すると豊かに見えますが、発想や思考など精神面では貧しさを感じます。
宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』の、ある印象的な場面と重なります。それは、主人公の両親が目の前の豪勢な食事に心を奪われ、無断で食べた結果、豚に変えられてしまう場面です。さまざまな解釈があるのでしょうが、過剰な欲望による大量の消費は、人間性の喪失をもたらすのだ、という警告ではないかと私は受け止めています。