CDデビューの記者会見で歌う、やなせたかし氏(2003年12月、写真:共同通信社)

 NHKの連続テレビ小説『あんぱん』への注目が放送回を重ねるごとに高まっている。主人公の朝田のぶは漫画家やなせたかしの妻・暢(のぶ)をモデルにしており、やなせたかしをモデルとした「柳井嵩(やない たかし)」との物語だ。やなせたかしといえば『アンパンマン』の作者として知られているが、作詞家としての顔も持つ。そんな史実を踏まえて『あんぱん』では、嵩が早くも作詞の才能を発揮する場面があった。近著『大器晩成列伝』を上梓した著述家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

やなせたかしが42歳で作詞した「誰もが知る童謡」

 漫画家にして絵本作家、そして詩人としても知られる、やなせたかし。ほかにも多岐にわたる活動を行っている。

『詩とメルヘン』という雑誌を創刊し、30年にもわたり編集長を務めたこともあれば、手塚治虫から依頼されて、アニメ映画「千夜一夜物語」の美術監督やキャラクターデザインを手がけたこともある。

 ほかにも演出家・司会者・コピーライター・作詞家・シナリオライターなど、やなせは多くの肩書を持つ。

 1987年1月17日、NHKラジオ第1「朝のティータイム」に出演したときには、当時67歳のやなせたかしが聞き手のアナウンサーに、自身の肩書についてこんな説明をしている。

「いろいろあってよく分かりませんけどね、僕はやっぱり仕事は『人間』というか……人間商売やっている、と思うから。でもじゃあなんだって言われるとね、『漫画家』とまあ言っているんですけどね、非常に無責任だけど」

 やなせたかしが「アンパンマン」を初めて発表したのは1969年、50歳のときのことだ。当時はなかなか人気が出ず、70歳になる直前に、アニメ化によってようやくブレイクする。やなせたかしが「遅咲き」とされるゆえんだが、1961年、42歳のときには誰もが知る名曲の作詞を担当している。

 当時、日本教育テレビ(NET、のちのテレビ朝日)の朝のニュースショーの構成をしていたやなせが「今月の歌」として、「手のひらを太陽に」を作詞。知人のいずみたくが作曲を行い、宮城まり子が歌ったのが始まりである。

 当初は反響がなかったが、3年後に男性コーラスグループ「ボニージャックス」が歌い、レコード化されると、その年の紅白歌合戦に出場。数年後には音楽の教科書にも掲載されるなど、「手のひらを太陽に」は広く歌われることになった。