
日本人ならば誰もが知る『アンパンマン』を生み出したやなせたかしと妻・暢の夫婦をモデルに描くNHK連続テレビ小説『あんぱん』。史実とは異なり、脚色も入っているが、ドラマは二人の幼少期にはじまり、そしていまは80年前、終戦間近の戦時下を描いている。
やなせたかしがモデルの「柳井嵩」も徴兵され、中国・福建省の戦線に送られ、戦友が地元の子どもに撃ち殺されたり、食料の補給が止まり餓死寸前にまで追い込まれたりの描写が、視聴者の共感を呼んでいるようだ。

私も視聴者のひとりだ。戦場の描写を観ていて、不意に脳裏を過ぎるものがあった。実際に戦地に赴いた元日本兵がたどった道だ。
残留日本兵を尋ね歩く旅
いまから20年前、戦後60年にあたった年の夏に、私は東南アジアを旅していた。終戦を迎えても、復員せずに、現地に留まって生きた残留日本兵に会ってインタビューをしていた。
いまではもう誰も生き残ってはいないが、当時はそれでも14人の残留日本兵と会うことができた。
「60年前、どうしてあなたは日本へ帰らなかったのですか」その理由を知りたかった(その詳細は拙著『帰還せず―残留日本兵 六〇年目の証言』にまとめている)。そこで聞かされた戦地の惨状。その一人の証言。
新潟県小千谷町(現・小千谷市)で生まれ育った中野弥一郎は21歳で徴兵され、衛生兵になった。中国に送られて転々としながら、最後は“史上最悪の作戦”と呼ばれたインパール作戦に従軍している。
「中国ではどこへ行っても食事は美味しかったですねぇ‥‥」
中野は当時、そう振り返っていた。地元の料理がうまかったようだ。