6月17日、インドネシアのスカルノ・ハッタ国際空港に到着した天皇・皇后両陛下(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 天皇、皇后両陛下は17日からインドネシアを公式訪問されている。

 両陛下の外国への親善訪問は即位後初めてとなるが、それがインドネシアだった意味は大きい。

 インドネシアは、終戦後も現地に留まった日本兵が独立戦争に加わり、アジアの植民地支配からの解放を果たした国だ。20日には、その元日本兵も埋葬されている「カリバタ英雄墓地」を訪れ、供花される。これは歴史的なことでもある。

インドネシア独立宣言を起草した日本の駐在武官

 日本が敗戦を迎えた1945年8月15日の2日後、インドネシアでは独立が宣言される。首都ジャカルタの現在の独立記念塔(モナス)が経つ場所で、後の初代大統領となるスカルノが「独立宣言」を読み上げた。そこから再植民地化を狙う宗主国オランダとの独立戦争がはじまっていく。

 そもそも日本軍は、統治下にあったインドネシアで現地の優秀な若者を集めた補助部隊として「ペタ」と呼ばれる義勇軍を創設し、軍事教練を実施していた。これが独立運動の原動力となっていた。

 スカルノが読み上げた「独立宣言」も日本海軍のジャカルタ駐在武官だった前田精少将邸が、前日の夜に起草したものだった。インドネシアの独立を日本軍が後押ししたことは事実だった。

独立宣言を読み上げるスカルノ。右にいるのがハッタ(1945年8月17日)(Frans Mendur (also Frans Mendoer) (1913 – 1971), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

 日本敗戦の2日後の独立宣言。これがきっかけとなって、アジアの周辺各国が植民地支配からの解放を目指して立ち上がっていく歴史的瞬間。

 この時、スカルノを囲んで警護の役割を果たしていたのが、日本軍の憲兵たちだった。そのうちの一人、補助憲兵としてスカルノの脇に立ち、独立宣言を読み上げる肉声を聞いていた人物に話を聞いたことがある。

「インドネシアの独立という歴史的現場に立ち合っちゃったんだなあ」

 私が話を聞いたのは戦後60年の節目の年、18年前の夏。終戦後も日本への復員を拒み、現地に留まって生きた残留日本兵を訪ねた時のことだった。すでに80歳を超えたジャカルタ在住の彼の名前を藤山秀雄といった。もともとは日本陸軍の「隼」戦闘攻撃機の整備をしていたが、終戦の混乱で憲兵が不足して、補助憲兵に借り出されていた。