曹操

 約1800年前、約100年にわたる三国の戦いを記録した歴史書「三国志」。そこに登場する曹操、劉備、孫権らリーダー、諸葛孔明ら智謀の軍師や勇将たちの行動は、現代を生きる私たちにもさまざまなヒントをもたらしてくれます。ビジネスはもちろん、人間関係やアフターコロナを生き抜く力を、最高の人間学「三国志」から学んでみませんか?

曹操は、異民族平定の将軍職で平凡に生涯を終えたはずだった?

 曹操は正史三国志における中心軸となる人物であり、『三国志演義』の中では劉備や関羽、張飛の敵役として立ちはだかる最強の英雄でもあります。曹操は、のちに三国のトップとなる劉備、孫権と比較して、後漢帝国という旧時代の体制にもっとも近い人物でした。

 曹操の父が養子となった曹騰(曹操の祖父)は、宦官でありながら権力に非常に近い有能な人物であり、父の曹嵩とともに、若き曹操の強力な後ろ盾となれる人脈と財力がありました。

 一方で、曹操の若き頃(10代から20代はじめ)は後漢帝国に本格的な崩壊の兆しはなく、のちの述懐で曹操は、「自分の墓には異民族討伐の将軍として活躍した人物と刻まれる」くらいに考えていたと述べており、平和な時期に抱いていた彼の将来像が伺えます。

 曹操は20歳で官吏(政府の公職)についており、30歳(184年)に黄巾の乱が起こるまで、後漢帝国の役人として青年期を過ごしています。洛陽北部の警察長官のような職を得たときは、違反者を厳しく取り締まることで風紀を正す一方、一部の権力者からにらまれるような若々しい正義漢ぶりを発揮していました。