過激派の背後にいるイラン

 ハマス、ヒズボラ、そしてイエメンのフーシ派などの背後にいるのがイランである。イランはこれらの過激派武装組織を生み、育てた。そのイランが敵対するのがイスラエルであり、アメリカである。

 パレスチナという地の帰属については、イランはイスラエルという国を否定し、パレスチナを支持する。宗教的には、イスラム教の中でも、イランはシーア派の総本山であり、スンニ派の頭目のサウジアラビアと対立する。

 第二次世界大戦後のイランで、1953年にアメリカの支援で親米派のパフレヴィー2世の政権が誕生したが、国民の生活は改善せず、行きすぎた西欧化への批判も強まり、大衆の反発を招いた。

 そのような大衆の不満を背景に、国外追放となっていたシーア派(十二イマーム派)最高指導者のホメイニ師は、海外から反政府活動を指導していた。1978年になると、学生や市民は、王制批判の抗議活動を行い、それを鎮圧できなくなったパフレヴィー2世は、1979年1月に海外に逃亡した。

 ホメイニは、亡命先のパリから帰国して1979年2月11日に政権に就き、国名もイラン・イスラム共和国に変えたが、その統治は、シャリア(イスラム法)に基づく厳格なもので、アメリカの「退廃文化」は斥けられ、女性は外出時にはヘジャブの着用を義務化された。

 ホメイニは、イスラエルを国家として認めず、殲滅する対象だとした。さらに、石油の国有化を行い、原油の輸出を制限した。その結果、石油価格が高騰し、第二次石油ショックを引き起こした。