アメリカ大使館人質事件

 11月には、学生らがアメリカ大使館を占拠し、大使館員52人を人質にとって立て籠もった。アメリカのカーター政権は、翌年の4月に、ペルシャ湾に展開する空母から救出作戦を試みたが失敗し、11月の大統領選挙でレーガンに負けた。

 このイスラム革命以来、アメリカ人はイランに対して不信感を抱き続けている。

 1980年9月、イラクがイランに侵攻し、イラン・イラク戦争が始まり、この戦争は1988年まで8年間続いた。翌1989年6月、ホメイニが死去し、ハメネイが後継者となった。

 大統領については、1989年に保守派のラフサンジャニ、1997年に穏健派のハタミ、2005年には保守派のアフマディネジャド、2013年には穏健派のロウハニ、2021年には保守派のライシと、保守派、穏健派が交互に選出された。2024年5月にライシはヘリコプターの墜落事故で死去した。

 それを受けて行われた大統領選では、7月の決選投票で、国際協調を唱える改革派のマスード・ペゼシュキアン元保健相が、保守強硬派のサイード・ジャリリ元最高安全保障委員会事務局長を破って当選した。

イランのペゼシュキアン大統領(提供:Iranian Presidency/ZUMA Press/アフロ)
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 この選挙結果の背景には、保守強硬派政権への国民の不満がある。米欧の制裁で物価が高騰し、生活が苦しい国民は変化に期待した。2022年にヘジャブ(頭を覆うスカーフ)のかぶり方をめぐって女性が逮捕され、死亡する事件が起こったが、若い世代は、保守強硬派による女性へのヘジャブの強制に反発している。ペゼシュキアンはこのような事件が再発してはならないと主張している。