眞野さんは語ります。

「私は父親から、『うどん屋の息子は大学に行く必要はない』と言われ、高校を出てすぐに働き始めました。その後、結婚して男の子3人の子宝に恵まれたのですが、自分が大学に行けなかったので、子供たちには何とか行かせてやりたいと思い、頑張ってきました。

 その長男が、教員を目指して大学に入学し、わずか半年であの事故が起こったのです。私は夢も希望も未来もなくして、何から手を付けたらいいのかさえわかりませんでした。そんな中、漠然と、自分が息子の夢を叶えようと思い立ったのです」

 すでに眞野さんは50歳を過ぎていましたが、一念発起して大学に入学。卒業後は大学院まで進み、日本福祉大学実務家教員になったのです。

「長男の夢を追いかけながら必死に学ぶことで、あの地獄のような日々をなんとか乗り越えられたのだと思っています」

償いは一切なし、「約束」を破ってブラジルに帰国した犯人

 実は、眞野さんは一度だけ、刑務所に収監中の加害者と面会したことがあります。それはわずか20分間の会話でした。

 そのときの加害者とのやり取り、そして、このとき加害者と交わした約束はどうなったのか……、それについては、『真冬の虹 コロナ禍の交通事故被害者たち』(柳原三佳著/若葉文庫)に掲載されています。

 同書の第10章『贖罪とは』から、一部抜粋します。

「彼はグレーの刑務服に身を包み、刑務官に連れられて、私の前に現れました。身長193センチと大柄で、頭は丸坊主でした。その姿を見たとたん、『こいつが息子を殺したんだ……』と、なんとも言えない感情がこみ上げました。(中略)私はまず、『いま、どういう気持ちなんだ?』とたずねました。すると彼は、『申し訳ない』と言いました。『では、刑務所を出たら、息子に謝罪に来るように、そして少しずつでもいから、きちんと賠償して誠意を見せるように』そう言うと、『わかった、一生かけて償う。約束する』と言いました。私はそんな彼の言葉を信じ、『約束だぞ』と、面会室のクリアボード越しに、グータッチをして別れたのです」

 しかし、「男同士の約束」は、あっけなく反故にされてしまいました。加害者は出所後、一度も眞野さんに連絡を取らず、謝罪も、1円の賠償もすることなく、母国ブラジルへと帰国したのです。

 眞野さんは加害者が収監中に民事裁判を起こし、約4000万円の損害賠償を認める判決をとっていました。しかし、逮捕時の所持金7000円で、無保険だったこの男に賠償能力があるはずもなく、その判決文が紙切れに過ぎないことは、最初から承知の上だったといいます。それでも、できる限りの誠意を見せてほしい、そう思っていたのです。