眞野さんはその後も、危険運転への訴因変更を求め、何度も検察に訴えました。しかし、結果的に「過失」のまま懲役7年の実刑判決が下されたのです。

貴仁さんがはねられた横断歩道に立つ父親の眞野さん。加害者は写真手前から奥に向けて、制限速度2倍以上のスピードで一方通行を無灯火で逆走し、ひき逃げをした(筆者撮影)
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事故現場に立てられた目撃情報の提供を呼び掛ける看板(眞野哲氏提供)
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亡くなった息子の夢を追うことが生きる希望に

 眞野さんが国政を目指そうと決めたのは、まさに、このときの悔しい経験がきっかけだったといいます。

「私は息子の死を通して、交通事故の刑罰が他の犯罪と比べて軽すぎる現実を突き付けられました。これは何とか変えなければと思い、法律の壁に立ち向かう決意をし、テレビや新聞等の取材にも積極的に応じ、政治家にも働きかけ、署名活動をしたり、全国で講演活動をしたりしました。と同時に、こうなったら自分自身が国政に出て、次の被害者遺族のために役立つことができれば、と思うようになったのです。とにかく、長男の命を無駄にしたくない、その一心でした」

 そしてもうひとつ、眞野さんが国政への挑戦と共に自身に課した課題、それは亡くなった貴仁さんの夢を叶えることでした。