放送事業者の頭痛のタネ
テレビはどうか。テレビはかろうじて規模で維持しているが、在京キー局、在阪局、在名局くらいまではなんとかやりくりできている。
だが、新聞と同じく十年一日で、デジタル化が遅れている。キー局がデジタル配信をしてしまうと、ネットしている、そして番組の自主制作比率が10%程度の地方ローカル局の収益が毀損してしまうからである。
ネットで視聴すれば事足りしてしまうし、地方ローカル局のチャンネルで番組を見る必然性が低下するということは広告価値を下げることになる。
それでも背に腹は代えられないとばかりに、有力局はコンテンツがあるのでTVerをはじめデジタル化を少しずつ進めているが、コンテンツ自体を制作していない地方局の未来は暗い。
ノウハウも、制作に投資を行う体力も残されていない。売るモノ(コンテンツ)がないメディア企業はいったいどんなビジネスで売上を立てていくというのだろうか。
一般には認識されていないが、将来的な系列関係の再編や統廃合を視野に入れているというほかないマスコミ集中排除原則の緩和などがひっそりと進められている。
ただでさえ厳しいメディア、マスコミ業界だが、報道はそのなかでも端的にコスト部門とされる。支局網を維持し、社員を育成し、貼り付け、コンテンツもそれほど人気があるとはいえない。
冒頭に戻るが、最近では「ニュースがない」ことが「目玉」とされる情報番組が評判になるくらいなのだから。
それでも放送事業者にとって頭痛のタネとなるのは、コスト部門であることは明らかながら、事業の公共性の主たる源泉となっているのはやはり報道なのである。
放送が通常の事業と異なるのは、放送波の独占と許認可事業であることから放送の公共性への配慮が求められる点だ。
仮に放送事業者が報道を手放す日が来たとして、法理論的にはさておくとして、多くの人が文化や娯楽を提供するだけで放送事業者が公共的な役割を果たしていると腹落ちできるだろうか。かなり難しいのではないか。