驚くほど無策のままに過ぎ去った2010年代
1世帯あたり部数が1を割ってからも長く0.9〜0.8程度で推移していたわけだから新聞購読世帯は多数派だった。新聞は確かにマスメディアといえたはずだ。
再び落ち込み始めるのは、2010年代半ば以後のことである。1世帯当たり部数が0.5を下回るということは新聞購読世帯が少数派に転じたということを意味する。現代において、なぜ新聞はマスメディアといえるのだろうか?
世界と全国に独自の支局網を持つ全国紙についていえば、かろうじて世界と全国の確度の高い「ニュース」を地方に、地方の「ニュース」を全国に届けるという意味においてマスメディアと呼べるのかもしれない。
しかし新聞発行部数の減少と売上減のなかで、支局数や記者数も減少を続けている。支局数の減少程度は社によって相当異なるが、日本新聞協会の調べでは新聞業界全体の記者数は10年前と比べて75%程度まで減少している。
◎日本新聞協会「新聞・通信社従業員数と記者数の推移」
「働き方改革」も追い打ちをかける。伝統的な夜討ち朝駆けスタイルを維持できている社も減少しているというし、突発の災害報道においてさえ若手を現地に取り敢えず投入するといった「伝統的」な取材も年々難しくなっているという。
民業というのは残酷だ。働き方改革は間違いなく必要だし、記者の人権擁護も言うまでもなく必要だ。
しかしそのこととは別に、明らかにコストは高くなり稼働できる人員、影響力が減じているが、そうなればなるほどネットワーク効果はマイナスに働き、ますます購入する動機づけが乏しくなってしまう。
新聞社は名実ともにマスメディアであった2010年代に手を打つべきだったが、英『Financial Times』を買収し、デジタル化を推し進めるなど試行錯誤を続けている日本経済新聞を除くと2010年代は業界全体が驚くほど無策のままに過ぎ去ってしまった。