(歴史ライター:西股 総生)
一見するとつまらない写真だが…
戦国時代の城を扱った本を見ていると、しばしば「城址遠望」と題された写真が載っている。文字通り城跡を遠くから眺めたカットだが、城に興味のない人が見たら、ただの山か森が写っているようにしか思わないだろう。下の写真1は、トップの写真とは違う場所から葛山城を撮ったものだが、案内板がなければタダの山にしか見えない。
城址遠望写真は、一見するとつまらない写真のようであるが、筆者は戦国の城を歩くとき、できるだけ撮るように心がけている。高低差のない平城だと、適当なアングルを見つけられないことも多いが、山城や丘城の場合はアングルを探して撮るよう努める。
城好きの人の中には、城址遠望を撮らない人もけっこう多いようだ。撮らない理由は簡単で、面倒くさいからだ。
城址遠望写真は手間がかかる。たいがいの場合、アングルを探して城のまわりをウロウロと歩き回らねばならない。30分くらい歩き回ったり、家内にお願いしてあちこち車を走らせてもらって(筆者自身は運転しないので)イヤな顔をされたり、ワンカットを撮るためにずいぶん時間と労力を費やす。タイパの悪いことおびただしい。
写真2は、杉山城(埼玉県嵐山町)へ向かう途中の道ばたから撮ったものだが、送電線が邪魔に感じたので、農道をウロウロして撮り直したのが写真3。丘の感じそのものは写真2でも悪くないのだが、比べてみると3の方がスッキリしてよい。
では、なぜそこまでして城址遠望を撮るのかというと、理由は二つある。一つは仕事で使うから。城の記事や本を書く場合、城址遠望のカットがあると重宝するのだ。
写真4は、北条氏規の居城だった三崎城(神奈川県三浦市)を、南側の入江(北条湾)から望んだカット。三崎城は北条氏の水軍基地として重視された城なので、記事を書く上では水軍基地らしい構図の写真がほしかった。入江に係留されているのは、現在は漁船だが、かつては大小の軍船が並んでいた、というイメージである。
でも、本当はもう一つの理由の方が大事で、それゆえに筆者は皆さんにも城址遠望を撮るよう、お薦めしたいのだ。城址遠望を撮る行為は、そのまま城地の地形を観察することにつながるのである。地形をじっくり眺めることで城に対する理解が深まるのなら、30分歩き回る手間など安いものではないか。
写真5は、武田勝頼と徳川家康が争奪戦を繰りひろげたことで有名な高天神城(静岡県掛川市)。山城としては低い方だが、かつては湿地の中に急崖をもって屹立する難攻不落の要害であった。城跡は今では樹林に覆われていて、遠望写真で屹立感を出すことは難しい、でも、せめて湿地に囲まれていたイメージかほしかったので、このアングルから撮った。逆光気味で、画面が少々フレアっぼいが、占地の特徴は出せたと思う。
こんな具合に遠望写真を撮りたいとなったら、事前に地図を検討するのが賢明だ。地形図を見ながら、ここらへんの農道からならよいカットが撮れそうだとか、家内に車を走らせてもらう場合でも、地図を見てあたりをつけてから行ってもらう。ないしは、城の上から麓を見渡して、見当をつける。こうした手間が、地形の理解を助ける。
写真6の坂戸城(新潟県南魚沼市)は、サッカーを観に新潟に行った帰りに寄り道して撮ったもので、魚野川の対岸から望める場所を探して撮ったものだ。天正6年(1578)に御館の乱が起きた際、景虎を支援する北条軍は魚沼地方に侵攻したものの、ついに坂戸城を抜くことができず、軍事介入は失敗に終わった。
このような歴史の舞台となった城なので、どうしても魚野川の対岸、つまり北条軍が眺めたはずのアングルから撮りたかった。ただ、途中の車内で地図とにらめっこしていたおかげで、さほど迷うことなく、ドンピシャのアングルを見つけることができた。(つづく)