いったい誰の、なんのための情報番組か
チラと見てみると、パネルはそれなりにわかりやすくできているものの、ゲスト専門家を除くと、玉川徹らレギュラーコメンテーターたちは現状の所得税の控除と社会保険料の被扶養者などを混同するなど、あまり正確ともいえない「自説」をやたら早口で開陳しているが、最初からよほど一生懸命見ているような場合を除いて内容はほとんど視聴者の記憶に残らないだろう。
むろん誰しもが知るように、昔からこういう番組だった。それどころかそれこそがウリともいえるし、教養番組の週間視聴率ランキング上位番組の常連であり、時間帯ではトップ争いを常に繰り広げている。
番組内のコーナーは変わったし、コメンテーターや進行する放送局のアナウンサーも変わっているが、羽鳥慎一が2015年に引き継いだのがもっとも大きな変化だったのではないか。
十年一日のごとくである。
何も当該番組に限らない。最近はTBS系『ラヴィット!』のようにそもそも「ニュースなし」を堂々と掲げる「情報番組」さえ登場している。「日々の買い物や食事、住まい、お出かけ情報など、暮らしが10倍楽しくなるきっかけ」を提供しているのだという。
放送法で規律されるとはいえ、放送事業が民業であることから、各事業者が好きにすればよいのだが、いったい誰のために、なんのために放送しているのだろうか。
伝統的なマスメディアは日増しにマス性が自明でなくなるとともに、実質的にパーソナルな媒体になっている。もっともわかりやすいのがかつての代表的マスメディアであったラジオであろう。