森派の「一人勝ち」が「安倍一強政治」につながる
こうした歴史の中で、派閥はどんな役割を果たしていたのでしょうか。本来は「総裁を輩出するためのグループ」だったはずですが、その役割以上に、政治資金やポストの配分、あるいは選挙で当選するための「互助会」として機能するという既成事実が積み重なっていったのです。
「自民党をぶっ壊す」とぶち上げた小泉純一郎氏は2001年に総理・総裁に就任すると、自ら派閥を離脱し、閣僚・党役員人事も派閥の推薦を受けずに決めていきます。「脱派閥」を実践し、これによって、旧竹下派支配を終わらせました。
ところが、自らの出身派閥だった森喜朗氏の率いる森派=清和政策研究会の拡大を抑えなかったため、森派の「一人勝ち」を招きます。森派は膨張を続け、そして同じく森派の流れをくむ安倍晋三首相の「安倍一強政治」につながるのです。
岸田文雄氏は総理・総裁に就任した後も、岸田派の会長を続けました。
最初は安倍派の強い影響力の下で政権を維持。安倍氏が凶弾にたおれた後は、岸田・麻生・茂木の3派領袖による「三頭政治」を進めました。岸田政権こそ、まさに派閥主導型の政権運営だったのです。
そこに発覚したのが、派閥のパーティー券販売をメンバーが請け負い、売り上げの一部をメンバーにキックバックして政治資金報告書に載せないという裏金事件でした。国民の政治不信は大きく膨らみ、岸田内閣の支持率は低落、退陣に至ったのです。