「岸田派」の解散を決めた岸田首相(写真:共同通信社)

政治資金を裏金にしていた問題をきっかけに、自民党の各派閥が相次いで解散を宣言しています。1月26日に開会した通常国会でも政治とカネは大きな議論になりそうですが、「これをなくせば政治はクリーンになる」とばかりに解消へ向かう「派閥」とは、いったいどんな歴史と役割を持っているのでしょうか。やさしく解説します。

フロントラインプレス

麻生派、茂木派は存続の方針

 自民党の国会議員は、主義主張や政策、利害関係、出身地・出身組織、縁戚・縁故関係などによって集団に分かれています。それが「派閥」です。それぞれの派閥は「◯◯会」などの正式名称を持っていますが、日常的にはトップの会長(「領袖=りょうしゅう」とも呼ばれる)の名字をとって「◯◯派」と称されています。各派閥には会長や会長代行、座長などのポストがあります。資金を担当するのは事務総長。政治資金パーティーの裏金問題では、事務総長がどう関与していたのかが大きな焦点になっていました。

 政治資金パーティーの裏金問題で各派は次々と解散していますが、今年1月中旬まで党内には6つの派閥がありました。所属国会議員の多い順に、安倍派(96人)、麻生派(56人)、茂木派(53人)、岸田派(46人)、二階派(38人)、森山派(8人)です。このうち、麻生派と茂木派だけは解散や解散表明をしておらず、派閥存続の方針を打ち出しています。

自民党の派閥の系譜(出所:フロントラインプレス作成)拡大画像表示

 自民党の派閥は、党内政党と呼ばれるほどの力を持ってきました。1955年の保守合同で自由党と日本民主党が合併して現在の自由民主党が誕生した際、総裁は党内選挙によるものとされました。議会で多数を有する与党の総裁選びは、事実上、日本の総理大臣を選ぶことです。このため、各派の領袖は少しでも多くの議員を自らの影響下に置こうと、常に多数派工作を続けます。

 その際にものを言ったのは主義主張や政策だけではありません。定期的に派閥から配分されるカネも派閥の維持に大きな威力を発揮しました。その1つが「餅代」「氷代」と称される資金です。正月と盛夏に派閥が資金を配布するこの仕組みは、現在まで続いていました。

かつてはカネが乱れ飛んだ

 派閥の勢力争いがピークを迎える総裁選では、かつて億単位のカネが乱れ飛んだと言われます。1970年代〜80年代の総裁選では、議員1人に数千万円の“実弾”(現金)が使われたと盛んに報道されました。もちろん、カネだけではありません。党内人事や閣僚などのポスト獲得でも派閥は大きな力を発揮します。永田町で「政治の力は数の力であり、カネの力」と公然と言われたのも、この頃のことです。

 一方、派閥に所属する議員にとっても、派閥の力は有効でした。国政選挙で勝つためには、組織の力が欠かせないからです。とくに1990年代まで衆院選挙は1つの選挙区で複数人を選ぶ中選挙区制だったため、同じ選挙区内での複数の自民党候補の争いは熾烈を極めました。公認争いや党本部の支援取り付けなど、候補の側は必死です。日本の保守政治を長く取材していた共同通信社政治部長の内田健三氏(故人)は、こうした自民党の状況を「派閥連合政党」と名付けたうえで、「親分・子分の構成要員の相互補完関係が確立し、私的集団である派閥は強固に維持・継続されていく」と指摘していました。

 では、各派はどんな特徴を持っていたのでしょうか。保守本流と言われてきた岸田派(宏池会)、ここ20年余り権勢を誇っていた最大派閥の安倍派(清和政策研究会)を見てみましょう。