ハト派の岸田派、高度経済成長を支えた宏池会
首相の岸田文雄氏をトップに据えていた宏池会は、戦後の大宰相と呼ばれた吉田茂氏(首相在任:1946〜47年、1948〜54年)の吉田派に連なる派閥です。1957年に吉田派の多くの議員が集まり、宏池会を旗揚げしました。初代会長は、後に首相として所得倍増計画をぶち上げ、高度経済成長をけん引した池田勇人氏です。宏池会は、政策面では「平和憲法擁護・軽武装」を掲げる“ハト派”。内政では「成長と再分配」を重視し、戦後日本の経済発展を支えてきました。宏池会からは池田氏をはじめ、大平正芳氏、鈴木善幸氏、宮沢喜一氏、そして岸田氏が首相に就任しています。
宏池会誕生の際、吉田派からはもう1つの派閥も生まれました。それが後の首相・佐藤栄作氏をトップとする佐藤派です。その後、佐藤派からは田中角栄氏の率いる田中派が生まれ、さらに田中派からは竹下登氏がオーナーの竹下派(経世会)が誕生しました。この系譜も政策的にはハト派・経済重視の保守本流。外交面では、米国だけでなく、中国との関係も重視していました。
タカ派の安倍派、過去20年余りは清和会支配の時代
保守本流に対抗する形で存在してきたのが、安倍派の清和会です。その源流は1955年の保守合同の前に存在していた日本民主党です。この党はもともと「憲法改正・自主憲法制定」をとなえていましたが、保守合同で自由民主党となった後もその姿勢を変えず、防衛力増強を主張。反共・親米を鮮明にし、中国と距離を置く姿勢を取ってきました。いわゆる“タカ派”の集団です。この中からは岸信介氏が首相に就きました(1957〜60年)。
この流れをくむ集団は離合集散やトップ交代を繰り返し、1998年に清和政策研究会となりました。会長の森喜朗氏は2000〜01年に首相を務めます。そして、森氏に続いて小泉純一郎氏、安倍晋三氏、福田康夫氏と4代連続して首相を輩出しました。安倍氏の首相再登板も含めて、この20年余りは清和会支配の時代だったとも言えるでしょう。
安倍氏が銃撃事件で他界したこともあり、安倍派は2023年8月から集団指導体制に移行しました。組織を仕切る常任幹事会は有力議員15人で構成。松野博一氏(当時は官房長官)、萩生田光一氏(党政調会長)、世耕弘成氏(参院幹事長)、西村康稔氏(当時は経済産業相)、高木毅氏(国会対策委員長)という“安倍派5人衆”を軸とし、座長の塩谷立氏(元文部科学相)がとりまとめる形でした。