岸田文雄首相が2024年1月18日、岸田派(宏池会)の解散検討を表明した。これを受けて翌19日、二階派(志帥会)、安倍派(清和政策研究会)も相次いで派閥解散を発表した。
わずか数日前まで夢物語と思われていた「派閥の解消」が現実のものとなったのはなぜか。派閥をこよなく愛し、派閥のトップに居続けたはずの岸田首相が、なぜこれほど大胆な行動に出られたのか。
麻生・茂木両派切り捨て
1月18日午後7時20分過ぎ、防災服姿の岸田首相が報道各社の取材に応じ、岸田派の解散検討を表明した。「政治の信頼回復に資するものであれば、そうしたことも考えなければならない」。さらに、半信半疑のメディアにダメ押しをするかのように、岸田首相は19日午前9時30分過ぎ、「政治の信頼回復のために『宏池会』を解散するということを申し上げた」と明言した。
首相発言に鋭く反応したのが二階俊博元幹事長である。二階氏は19日午後、自らが率いる二階派を解散する意向を表明した。同派の武田良太事務総長が一貫して派閥の必要性を訴えていたこともあり、突然の二階氏の表明は永田町をさらに震撼させた。同日夕、安倍派も正式に解散を決定した。6つの派閥のうち、最大派閥の安倍派(98人)、第4派閥の岸田派(46人)、第5派閥の二階派(38人)が消えることになる。