いまや「政界の悪役」といえば、通算在職日数の最長記録を更新している自民党幹事長の二階俊博だろう。2月17日に82歳を迎えたベテラン政治家は、東京五輪組織委員会会長を辞任した元首相の森喜朗に負けず劣らず失言が多く、メディアに叩かれやすいキャラクターの持主だ。本会議で「黙って聞け!」と野党をにらみつけるのは恒例行事と化しており、首相の菅義偉も二階には逆らえないと言われている。まるで裏社会の親分、首領のような存在だ。二階は一体どのようにして政界最高実力者になったのだろうか。筆者は昨年、二階の人物像について寄稿しているが、今回は角度を変えて改めて二階の軌跡を追う。(文中敬称略)
「政界M&A」の申し子
二階は1939年2月17日、和歌山県御坊市に生まれた。中央大卒業後、国会議員秘書となる。11年間秘書を務めた後、和歌山県議(2期8年)を経て、1983年の衆院選で国政デビューを果たす。44歳だった。57歳で国政入りした元官房長官の野中広務ほどではないが、比較的遅咲きの部類だろう。以来連続当選12回、県議時代を含めて1度も選挙に負けていない。
別表にある通り、二階は最大派閥・田中派で永田町生活を開始する。90年代は政界再編街道のど真ん中を歩いており、非自民時代が10年5カ月に及んでいるのもキャリアの特徴だ。
目をひくのは2000年の保守党以降、一桁から十数人規模の少数政党、少数グループに身を置いている点である。企業の合併・買収を総称して「M&A」と呼ぶが、政党の合併と分裂の繰り返しである政界再編もある意味、「M&A」とすることも出来よう。二階は30年以上、その渦中に身を置き、小が大を飲むような政界M&Aを体現してきた。そうして手にしたのが押しも押されもせぬ政界随一の実力者という地位だ。