不祥事のたびに「派閥の解消」は掲げられたが…

 今回の総裁選は、裏金問題にけじめを付けるなどとした岸田首相の辞意表明に端を発しています。旧安倍派だけで総額6億円超に達した裏金は、派閥による違法な政治資金の実態を国民の前に見せつけました。派閥の力は議員の数の力、それを裏付けるのはカネの力。そうした現実はかつての自民党と何も変わっていなかったのです。

 国民から強い批判を浴びつつも、派閥は総裁選の結果を左右する力を持ち続けてきました。それは、なぜなのでしょうか。

 1955年に保守政党が合流して結成された自民党は「国民政党」「民主的な党運営」を掲げ、国会議員と党員らの投票で総裁を決める「総裁公選制度」を導入しました。軽武装・経済優先の旧自由党系と憲法改正を唱えるタカ派の旧日本民主党系の路線対立が残るなか、総裁の座を狙う有力者は同志を集め、派閥を形成していきます。派閥の始まりは総裁候補の支持グループだったのです。

満面の笑みの石破新総裁(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
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 自民党という一政党のリーダーを選ぶ総裁選には公職選挙法も政治資金規正法も適用されません。草創期の自民党では、カネやポストをエサに票を奪い合う総裁選が続いていました。

 政権政党が国民の信頼を損ねてはならないと、1963年には有力議員だった三木武夫氏を会長とする組織調査会が党近代化に向けた答申、いわゆる「三木答申」をまとめ、「現在の派閥的集団は、その名称、その内容、その活動のいかんに拘(かかわ)らず、すべてこれを解消して出直す」と宣言しました。それにもかかわらず、当時の池田勇人首相は翌1964年の総裁選では派閥をフル稼働させて3選を勝ち取り、派閥解消はほごにされたのです。

 派閥をめぐるスキャンダルも続きました。派閥とカネの力で政治を進めた田中角栄首相は1974年、金脈問題で厳しく批判され、金権政治と縁遠い三木氏が首相に就任します。その三木氏は、田中氏が関わったロッキード事件の真相究明に積極姿勢を見せたことから、田中派が逆襲。他派閥も加えた「三木おろし」によって退陣を余儀なくされ、金権政治の改革は頓挫しました。

 カネの問題では、竹下登首相が絡んだ1988年のリクルート事件も忘れるわけにいきません。リクルート関連会社の未公開株は政界にばらまかれ、カネまみれの自民党に対する批判は頂点に達しました。翌1989年、自民党は「政治改革大綱」をまとめ、総裁を含めた主要な党役員や閣僚は派閥を離脱することを決め、派閥解消の第一歩と位置付けました。

 その後、自民党は分裂し野党に転落しますが、政権復帰を果たした後の橋本龍太郎首相、小渕恵三首相の時代には「旧竹下派支配」が続きました。