自民党総裁選後の両院議員総会で、あいさつを終えた岸田首相と石破茂新総裁自民党総裁選後の両院議員総会で、あいさつを終えた岸田首相(左)と石破茂新総裁(9月27日、写真:共同通信社)

山田 稔:ジャーナリスト)

 アッと驚く大逆転劇で、石破茂氏(67)が高市早苗氏(63)を退けて自民党新総裁に選出され、10月1日の臨時国会で第102代首相に指名される。総裁選挑戦5回目にしての悲願達成である。鳥取県選出では初めての首相誕生、慶應大OBとしては小泉純一郎元首相以来5人目となる。

 それにしても痛快な逆転劇だった。1回目投票で課題の議員投票数が46票しかなかった石破氏が、決選投票では189票と143票も増やした。高市氏は1回目が72票、決選投票では173票だったから101票の上積み。この差が大逆転に結び付いた。その裏には「高市氏だけは総裁にしたくない」「麻生副総裁の思い通りにさせてはならない」という複雑な議員心理、生き残りをかけた永田町権力闘争があった。

 9人大乱立の総裁選は歴史に残る戦いとなったといえよう。さて、そんな大激戦を勝ち抜いた石破茂新総裁・首相にはどんな道が待ち構えているのか。

自民党の新総裁に選出された石破茂氏自民党の新総裁に選出された石破茂氏(写真:共同通信社)

長らく温めてきた「構想の実現」に向けて動き出す

「地方の党員からは強い支持を得ている石破」──。自民党総裁選が行われるたびに指摘されてきたフレーズだ。筆者も地方で熱烈な石破信奉者に会ったことがある。食品会社のオーナー経営者で常にこう言っていた。

「いま日本で地方創生のこと、農政改革のことを最も分かっているのは、全国を飛び回って見てきた石破先生を置いていないよ」

 実際、石破氏はSNSで「#47都道府県のみなさまへ」というメッセージ動画を発信している。

〈誰よりも地方を歩き、誰よりも地方のことを知っている。私はその自負を持っております〉

 全国津々浦々まで足を運んで、人々の声に耳を傾け地方が抱える問題に対峙してきた。そんな姿を地方の党員たちは目に焼き付けていたのだ。しかし、一担当大臣としてできることには限りがあった。だからこそ、官邸の主となった暁には温めてきた構想の実現に向けて一歩を踏み出すものと思われる。

 石破氏は祖父が元大御門村村長、父親が鳥取県知事や1980年代に鈴木善幸内閣で自治大臣、国会公安委員長を務めた世襲政治家である。父親・二朗氏の逝去に伴い、父の盟友だった田中角栄元首相の薦めで三井銀行(現在の三井住友銀行)を辞め、田中派事務局の職員となった。

 そして1986年、29歳の若さで衆院鳥取全県区(中選挙区制)に立候補し、当選を果たした。当時、選挙区に田中派の現職がいたため、中曽根派に加入した。以降12回連続当選を果たしている。

 政治改革を巡り1993年に宮沢内閣不信任案に賛成した。その後、細川内閣の政治改革関連法案に賛成したことから自民党から処分を受け、党を飛び出し、新生党、新進党に所属して活動した時期もあった。

 1990年代は小選挙区比例代表並立制を求める若手政治グループの代表世話人を務めた。信念と行動の政治家だった。1997年に自民党に復党して今日に至るが、常に「党内野党」的発言が災いし、国会議員からの支持は得られず、総裁選のたびに苦労した。その典型が2012年。1回目の投票では党員票の55%を獲得してトップに立ったが、議員による決選投票で安倍晋三氏に逆転負けし、その後の安倍一強政治を許した。

 そんな苦労人がようやく悲願のトップに上り詰めたわけだが、前途に待ち構えているのはいばらの道だ。ここまでの経緯を振り返り、ある総理大臣経験者との共通点を見いだした。初当選時に所属していた中曽根派の領袖・中曽根康弘元首相(故人)である。