大物起用で政権基盤の安定を図った中曽根元首相との「類似性」

 中曽根氏は昭和22年(1947年)に28歳で初当選する。その後20回の当選歴を誇り、首相の座まで上り詰め、約5年の長期政権を維持した。若いころは青年将校と言われ、政治改革や改憲を訴えていた。

 そして1982年、鈴木善幸総理の突然の総裁選不出馬表明で総裁選予備選が実施され、キングメーカーの田中角栄元首相率いる田中派の主導、全面支援で弱小派閥の中曽根派の領袖・中曽根氏が第11代自民党総裁に選出されたのである。

 組閣が終わるとメディアは「田中曽根内閣」「直角内閣」などと一斉に揶揄したものである。竹下登蔵相、内海英男建設相など田中派の大臣が6人も名を連ねたのだから無理もない。

 それでも中曽根氏は巧妙だった。官房長官に総裁派閥ではなく田中派の後藤田正晴氏を据えた。旧内務官僚(警察庁長官)出身で、カミソリ後藤田と畏怖された大物の起用で政権基盤の安定を図ったのである。

 そして田中角栄氏が脳梗塞で倒れて以降、政治的影響力を失っていく中で、中曽根氏は任期切れ直前の1986年に衆参同時選挙に踏み切って大勝。総裁任期は1年延長された。こうして弱小派閥の領袖に過ぎなかった中曽根氏は安倍政権に次ぐ長期政権を誇ることになったのである。

1986年7月の衆参同日選で、候補者ボードにバラの花を付ける中曽根康弘元首相1986年7月の衆参同日選で、候補者ボードにバラの花を付ける中曽根康弘元首相(写真:共同通信社)

 長々と中曽根元首相の話を書いたが、29歳で初当選、政治改革や改憲を訴えるなど石破氏と中曽根氏には共通項が少なくない。そして初当選時の石破氏の所属は中曽根派で、政治家への後押しは田中角栄氏。総裁選への挑戦も複数回で、党内基盤は脆弱。今回の総裁選では新たなキングメーカーと称される菅義偉元首相や岸田前首相の支援を受けて決選投票での逆転劇となった。中曽根政権誕生時との類似性に注目したい。