稲山さんは大恩人だ
ポスコ設立前後に、日本に頻繁に行き、官界、産業界で多用な人脈を築き、ポスコの成功のために協力を求めた。
そのうちの一人が旧八幡製鉄の社長でポスコの設立や成長を支援した稲山嘉寛氏だった。
「稲山さんはポスコの大恩人だ」
筆者は、何度も朴泰俊氏本人から聞いたことがある。
旧八幡製鉄など日本の鉄鋼メーカーは、技術、人材育成など幅広い分野でポスコの発展に全面的に協力した。
日本からの資金と技術を活用し、ポスコは1973年に生産を開始、1974年にはすでに売上高1000億ウォンを達成した。
国営企業のポスコは、民間財閥の現代、サムスン、LGなどと並んで韓国の高度成長「漢江(ハンガン)の奇跡」の立役者となった。
朴泰俊氏は1992年に会長職を離れ、その後、政界に転じた。
国会議員を経て金大中(キム・デジュン)政権では連立与党の代表、さらに首相なども歴任した。
政界を離れた後、しばらくして無報酬のポスコ名誉会長になり、2011年に死去するまで務めた。