2024年7月に日本の「1万円札の顔」になった渋沢栄一は韓国とも縁が深かった。
鉄道やガス事業を始めたほか、自らの顔を図柄にした紙幣も発行した。
韓国内では「朝鮮半島を経済的に従属させた人物だ」との批判もある一方で、新1万円札の登場を機に「どういう人物だったのか」という関心も出ている。
やはりここにあったか。
韓国銀行貨幣博物館
2024年7月9日、ソウル中心部、明洞(ミョンドン)のすぐ近くにある韓国銀行(中央銀行)内の「貨幣博物館」を訪ねた。
「あの紙幣」がここならあるかもしれないと思ったからだ。
この博物館は、1907年に建築家、辰野金吾氏が設計して着工した。地下1階、地上2階のルネサンス様式の石造・鉄筋コンクリートの建物だ。
今は韓国の「国家重要文化財史跡」になっている。
博物館の説明資料を見ると、建設にも渋沢栄一がかかわっていた。
この建物は、もともと日本の第一銀行が使用するはずだったという。第一銀行の設立者で長年頭取を務めたのは渋沢栄一だ。
着工から2年後の1909年に当時の大韓帝国が中央銀行である「(旧)韓国銀行」を設立し、この建物を使うことになった。
ところがその翌年、日本の植民地支配が始まり「(旧)韓国銀行」は「朝鮮銀行」となった。竣工後は「朝鮮銀行本店」となった。
さらに1950年に韓国の中央銀行「韓国銀行」ができてそのまま本店になった。
朝鮮戦争で内部がほとんど破壊されたものの、その後修復した。隣接地に韓国銀行の新しい建物ができた後、2001年に貨幣博物館になった。
貨幣博物館の1階の韓国の貨幣を展示してあるコーナーにその紙幣はあった。
韓国で初めての紙幣として渋沢栄一が図柄になっている「第一銀行券」があった。
こういう説明がしてある。