日本製鉄が保有する韓国ポスコホールディングス全株式を売却する。
長年、日韓産業協力の象徴だった両社の関係は、新しい段階に入る。
米USスチールの買収を目指す日鉄は、海外戦略でますます米国・インド強化に乗り出す。
一方のポスコは、3月に就任した新会長が反転攻勢に向けて苦闘中だ。両社は今後も協力関係は維持するものの、さらに関係は薄まるはずだ。
ポスコ株3.42%をすべて売却
日鉄は2024年9月24日、保有するポスコ株289万4712株を売却すると発表した。ポスコの発行済み株式数の3.42%に相当する。
この日の終値で計算すると1兆1000億ウォン(1円=9ウォン)相当になるという。
日鉄とポスコの関係は、1968年のポスコ設立から始まる。
その7年前の1961年5月に軍事クーデターで政権を掌握した朴正煕(パク・チョンヒ)氏は、軍事力と経済力の強化を急ぐ。
製鉄所の建設にも強い関心を持ち、1962年の第1次経済5か年計画に総合製鉄所建設を盛り込んだ。
1964年のドイツ訪問時には製鉄所を視察、さらに関心を強める。
海外からの資金導入に失敗すると、朴正煕大統領(1963年就任)は日韓基本条約に伴う対日請求資金を投入することを決めた。
1968年、総合製鉄メーカー、浦項(ポハン)総合製鉄(その後、2002年にポスコに社名変更)を設立した。
初代社長に就任したのが、朴泰俊(パク・テジュン)氏だった。40歳の時だった。
早稲田大で学んだ経歴もある朴泰俊氏は軍人になって朴正煕氏を支える。軍事クーデター後に朴正煕氏が「国家再建最高会議」を設置して議長に就任すると、その秘書室長になった。
高い実務能力と堪能な日本語、実行力と緻密さに加え、最高権力者である朴正煕大統領の強い信任を得ていた朴泰俊氏は、ポスコを世界的な鉄鋼メーカーに育て上げた。
この朴泰俊氏が最重視したのが日本との関係だった。