何やらせたいんだ、やってやるから優くれよ

 以下のやりとりは「斎藤君」と近い学年、つまり20世紀最末期に、彼と同様、東京大学文科1、2類に在学した1年生で、実際にあった事例です。

 過去四半世紀、いろいろなところで繰り返し書いてきた実例で、私が東大に着任し、文科1類から理科3類まで「全学共通・文理共通」情報処理 という科目を担当していた際の出来事です。

 私の課題は「自分自身で興味ある問題を見つけ、それに対するアプローチ法を、ネットの検索も駆使し、文理の枠を超えた仲間と議論しながら発見的に回答する」という、やや込み入った「卒論型リポート」を、半年かけて完成させるというものです。

 今現在も、形は違いますが、こういう各人の主体性に根を持つ課題を、私は基本常に設定します。

 理由は、そうした能力がその後の人生で問われ、そうした問題解決が可能な人材が伸びるからにほかなりません。

 例えば地震が起きた、原発が爆発したといった未曾有の事態が発生したとき、新たな情報を集め、仲間や専門家と協議し、限られた期間のうちに有効な施策を打ち出して行けるような人材の育成です。

 当時はまだ工学部長だった小宮山宏教授と検討、カリキュラムとして全科類1年生に6年ほど実施し、書籍にもしました。

 当時は「IT革命」の時期でしたから、「知識基盤」にはゲノム解析の自然言語処理エンジンを活用し、最新のデータマイニング技術確立に努めました。

 しかし、ビジネスモデルが弱かった。同じ時期それをビジネスにしようとしたグーグルやフェイスブック(当時、現メタ)がどう伸びたかを考えていただければ、有効性の背景はお分かりになるでしょう。

 しかし、私たちのブレーンはIBMやPwCで、かつ国立大学時代でしたから、ビッグデータビジネスという観点を我々は持たなかった。

 結果、負け組の一部にしかならなかった。

 2020年代、今度は生成AIで同じことが起きていますので、東京大学での人材育成でも同じ轍は踏まないよう、今現在も仕事しているわけですが、これは別論とします。

 そして、これに180度逆行していたのが「20世紀東大入試合格ガリ勉型丸暗記」に過剰適応してしまった18歳や19歳たちだったのです。

 最悪の例をご紹介しましょう。今現在は44~45歳くらいと思います、「斎藤君」より1、2学年下の男子2人が授業後の教卓にやって来たことがありました。

東大1年生A:先生さー、何やらせたいんだか、よく分かんねーんだよ。

:課題はすべて、よく分かるように出題してサイトに置いてあるから、分からないわけないと思うけど、どういうこと?

東大1年生B:自分で何か考えろってんだろ? かったりーんだよそういうの。何やらせたいのさ? 何でもいいから言ってくれたら、それやってやるから、優くれよ。

:ふーん、そういう了見で今までやってきたんだ・・・。

東大1年生A:何やらせたいの先生?

:いやー、そういう考えで、永遠に優は出ないような採点基準だから、もう一度よく見直してごらん。

 同じこと言いに何回来ても、答えは同じだから。自分の頭で考えてみるのが、ここでの課題だから。言ってること、分かる?

東大1年生AB:・・・・。

 やり取りはここで終わりましたが、こういうタイプが40歳、50歳とそのまま大きくなったような連中がやらかしたケースも、実にたくさん目にしてきました。