シュツットホーフ強制収容所跡(Eveline de BruinによるPixabayからの画像)

 8月20日、ドイツの最高裁に相当する連邦裁判所は、99歳の被告人、イルムガルト・フルヒナ―の上告を退け、禁固2年の下級審判決が確定しました。

 なぜ99歳の老人に有罪判決?

 それはフルヒナ―被告が、欧州で永久に時効のない「ナチス事犯」として80年前の犯行で訴追されているからです。

 1943~45年、日本でいえば昭和18~20年にかけて、当時はドイツ領だったポーランドのグダニスク近郊、シュツットホーフ強制収容所で、所長室秘書の速記タイピストとして勤務し、1万505人の殺人に加担した容疑によるものです。

 皆さんは、どう思われますか?

 日本と欧州で倫理観の違いが際立つ事例、かつ「実質的に最後のナチス事犯裁判になるだろう」ともいわれる、フルヒナ―裁判について、考えてみたいと思います。

「公務に従っただけ」は免罪か?

 起訴状によると、フルヒナー被告は第2次世界大戦末期の1943年の6月から、ドイツが連合国に降伏する45年4月まで、当時ナチスの支配下だった「ダンチヒ回廊」に所在したシュツットホーフ強制収容所に勤務していました。

 ダンチヒは歴史的には古くから、一種の飛び地としていわくつきの地域でした。

 天然の良港であり、かつてはバルト海貿易で賑わうハンザ同盟都市として栄え、戦争のたびにポーランド領になったり自由都市として独立したりを繰り返しました。

 フランス革命期のポーランド分割で1793年プロイセン領となってからはドイツの都市として繁栄しますが、第1次大戦でドイツが敗北すると19年のベルサイユ条約で「ダンチヒ自由都市」としてドイツから切り離され、独立といいつつ実質的にポーランド領となります。

 つまりドイツ人にとって「ダンチヒ」は、第1次大戦での失地、かつドイツのプライドを損ねられた象徴的な地域となり、右派を中心に「ダンチヒ奪還」はスローガン化。

 1939年9月1日、ドイツ軍艦によるダンチヒ砲撃を合図にナチスドイツはポーランド総攻撃を開始。

 翌9月2日にダンチヒは陥落、再び併合され「ドイツの威信を守った」象徴的な都市となり、捕虜その他を収監する強制収容所も立てられます。

 これが「シュトゥットホーフ」設立の経緯です。