作曲家の湯浅譲二さんが逝去された。94歳、大往生ではある。
だが、慶應義塾アートセンターと共同で新作委嘱をお願いしていた一個人としては、惜しんでも惜しみ切れない。
本連載のトピックスとしては、兵庫県庁のトラブルなどを記した方がビューが伸びるのは分かっている。
しかし、若い世代の読者にかけがえのない「真のオリジナル」の等身大の像を伝えたく、今回は、私一個人の観点からになるが、湯浅さんへの追悼を記したい。
出会い:テレビに流れていた湯浅譲二の音楽
湯浅さんの生い立ちなどは、追って他の追悼記事も出ると思うので、私にとっての彼の音楽との2つの出会いを記したい。
第1は、1960年代の幼児期、NHK「おかあさんといっしょ」などで触れた彼の音楽、とりわけ「走れ超特急」「インディアンが通る」「はっぱがわらった」など、センスの高い秀逸な童謡群は、放送される多くの歌のなかでも明らかに出色だった。
のちにご本人ともお話ししたが、1964年の新幹線開通に伴って委嘱された「走れ超特急」は、途中で(専門の言葉で「ドッペルドミナント」という)体が宙に浮くような和声進行があり、幼い私はこれが素晴らしくて、いろいろなもので模倣した。
ただ、この当時「湯浅譲二」という作曲者名を意識することは、幼児の私にはなかった。
次に湯浅さんの音楽に、頭をハンマーで勝ち割られたように思ったのは「大河ドラマ」の主題曲だった。
小学2年、8歳のおり、私は林光氏の作曲された「国盗り物語」のテーマを知り、背筋を貫く感動を覚え、子供なりに音楽のために死んでもいいかもしれないと思ったりした。
この時から自分は作曲して人生を送ると決め、それが今まで続いている。
当時、拙いなりに大半のテレビの音楽を聴き取って再現することができたので、「林光」という名とともに、この音楽は今も私を支えてくれる太い柱になってくれている。
2024年6月、放送後51年、作曲者の逝去から12年を経て経て全音楽譜から「国盗り物語」の楽譜が出版されているのを見つけ、うれしい驚きを持ったものである。
良いものは良い。いまテレビでオンエアされている音楽で、50年後に演奏、出版されるものがあるだろうか?
多分絶無と思われる。構造的な理由があるからである。