創造経験のない中年がプライド毀損したとき
「斎藤元彦君」は1977年に神戸市で生まれ、中学高校は「進学校」で学んだと言います。現役で進学していたら。私の東大任官時点で修士2年次に相当する学年です。
さて「進学校」というのは、実は東大教官としてはちょっと要注意なのです。
丸暗記で、頭を使わずに入試だけ突破してきた学生は、入学後に伸びないケースが少なくないからです。
我々教官は教室で出身校など決して尋ねません。
みな一律に「自分の地アタマで考える」課題を与えますが、できる子と、苦手な子に分かれる現実があります。
過半は「地アタマ」で考えることに、当初はかなり当惑するようです。
そして、伸びる子の割合がだんだん高くなっていきますが、年次によりクラスにより、結果はまちまちです。
「斎藤君」の場合は、1浪して神戸、三宮の予備校で一生懸命勉強したのでしょう。そして東大文系では入りやすい「文科2類」に合格。
東大内ではかつて「理1文3ネコ文2」といって、文科2類の学生が勉強をしない様子は、昼寝ばかりしているネコよりもヒマそうだ、と言われた時期もありました。過去の話と思いますが・・・。
「斎藤君」もその時期のOBで、ネットの情報には「ろくろく授業に出なかった」とありました。しっかり1年留年しています。
1浪1留、2年滑ってからの社会デビューで、東大生として優秀な方かと問われれば、まあ、お分かりいただけるでしょう。大したエリートではありません。
「知事は典型的な東大エリートで、挫折を知らない」とか書いてある記事を見ますが、全くそんなことはない。
浪人留年その他、ダメ学生の経験はしっかりもっており、平凡な東大OBの一人に過ぎません。
何にしろ「斎藤君」は、浪人後の「正解をともかく書けばよい」ガリ勉で、何とか入試をクリアすると、主体性を求められる、大学らしい科目では軒並み単位を落として留年。
またこの時期、阪神淡路の震災で経済的苦境も経験したらしい記述も目にしました。
そこで一念発起したのか、経済学部進学後は再び、「公務員試験」という、これまた「正解をともかく書けばよい」ガリ勉で2度目の「成功体験」を身に着けたことになる。
ここで病膏肓に入ったことが察せられます。
つまり、「正解とされる文章を、弁護士とあらかじめ打ち合わせ、無味乾燥に繰り返しておけば、人生何とかなるものさ」というのが、本音に近いと察せられます。
実際、多いですよ、こういう処世訓の役人タイプの対応。
つまり、何か自分の手で生み出したり、ゼロから創り出したりする経験を持てないまま、よくいるタイプの、あまりできない留年生として、教養学部などの時期に大学以降の実力を伸ばす機会を逸して、結局、高校生程度のガリ勉延長で役所に入り、それで固まってしまう。
以下、資料から移します。
2002年4月、総務省入省、10月 三重県に1年間、出向(25歳)
2008年4月、新潟県佐渡市に「企画財政部長」として3年間、出向(31歳)
2012年12月、福島県相馬郡飯館村に派遣、震災復興関連業務(35歳)
2012年7月、宮城県に3年間出向、牛タン倶楽部*1のメンバーと懇意に
2018年4月、大阪府に「財務部財政課長」として出向。「維新」知事らと懇意に(41歳)
2021年3月、3年目の終わりに兵庫県知事候補に取り沙汰され、総務省退職。
退職当日記者会見を開き、7月の知事選で当選。(44歳)
*1=牛タン倶楽部とは、斎藤元彦・兵庫県知事を支えてきた兵庫県庁職員集団につけられたあだ名で、かつて知事が総務省から宮城県出向した時に仲良くなったことに由来している。
さて、上に()で記した年齢からの、各々3年間は「中央からの出向者」という「お客さん」状態で、本当の実務にはまずタッチせず、自治省総務省の意向を地方に伝える、あるいは地方の要望を中央にハンドリングするという、上澄み業務に終始していた可能性が考えられます。
ここで注意しなければならないのは、一見すると同じように見えるキャリアでも、一つひとつの時期を立派に過ごした人もいるという事実です。
京都大法学部から西播磨県民局長まで勤め上げた彼など、真っ先に挙げるべきでしょう。
でも地方では、国の補助を期待しますから、中央からの出向組は基本チヤホヤしてもらえる。
何をやっても表では「お上手お上手」、裏で何を言われているかは当人が聞くこともなく、何事も創り出す経験がないまま、佐渡3年、宮城3年、大阪3年、それに当初の三重1年と、10年間はお客さん状態の殿様役人生活で 実質的にまともな経験ができなかったリスクが懸念されるわけです。
そうであったと断言はできませんが、こういう若者が、年齢もキャリアも器量も完全に上の、でも立場は下という人間に、プライドを傷つけられたりすると、タチが悪く豹変し、手が付けられなくなる。
私はそういう「阿呆」が、たたき上げ「2種」のベテランに諭され、突然瞬間沸騰機で激高する瞬間を、東大内に限らず、この30年弱、様々な場で結構な数を目撃してきました。