「阿呆の法、利口の工」
今の学生たちみたいな了見のまま、大人になっていくと、どうなるか?
「前例はこれこれ」「昨年度はあれそれ」「判例ではかくかく」「通例はしかじか」みたいな、自分の頭で何か考えるのではなく、常にどこかに準備された正解があり、それに合致していることで「優秀」と持ち上げられる、困った高級官僚型人材が育ちます。
実のところ「東大教授」にもよくあります。
大学から出たことのない人間に散見され、特に東大法学部卒~すぐに助手~20代後半で助教授・・・みたいな、ずっとチヤホヤされてきた人材に多かった気がします。
事務官諸氏に習ったことに「阿呆の法、利口の工」という表現があります。
つまり、ずっと東大内しか知らない中年の東大法学部卒は阿呆が多く、修士を出て企業経験などを経て戻って来た民間や苦労の経験がある工学部教授は、練れた利口者が多いという、実に含蓄の深い表現です。
誤解のないように、ずっと大学内にいた東大法学部教授でも、團藤重光先生のような、完全に反対のケースも多数おられます。
團藤先生の場合、ご苦労は、特高警察、空襲、敗戦と飢餓による子供の死亡、そんな中でGHQとの交渉と刑事訴訟法執筆など、無数の修羅場によって磨かれた、大変なスケールの人格でした。
でもそうでない「阿呆の法」も、残念ながら存在するわけです。
かつ、その場合、それが壊れる瞬間というのが全員ほぼ例外なく、どこかで訪れるのです。それは次の2条件が重なるとき、高確率で「瞬間沸騰機」が暴発します。
A:「先例で対処できない事例」にぶち当たり、かつ
B:無意味に高すぎるプライドがへし折られる「自信喪失体験」に直面したときです。
例えば、
A:“お客さん”の出向官僚ではなく本物の知事に就任し、
B:現実に初めて直面し、高すぎるプライドがへし折られたとき。
周りの全員が、本当はダメな自分をバカにしている、という劣等感の塊となり、余裕ゼロ、すぐに瞬間沸騰したり、何かとおねだりを要求して自分が価値ある人間であるかのように自他ともに錯覚させようとする。
もちろん、誰もそんな錯覚はしていないのですが・・・。
そういうコミックを、別の例でもかなりの数目にしてきました。ここに実名で書けないのがとても残念です。
のちに東大で長の字が着くようになった例(結果的に文系が多かったですが)も含め、こういう瞬間沸騰機がぶっ壊れる瞬間を幾つ見たか、数え切れません。折を改めて社会に価値還元できたらと思っています。
以下ではこうした一般論を背景に、「斎藤元彦知事」のケースで記してみましょう。