人間として最低な「答弁ごまかし」
斎藤知事の最低答弁を例示してみましょう。
8月30日の百条委員会で、日本共産党・庄本えつこ議員の決定的な質問を、斎藤知事がごまかした瞬間を引用してみます(公式動画の2時間10分50秒近辺以降)。
庄本議員:最後に一つ・・・もう過去は取り戻せないのでって、これからって、先ほど(知事は)おっしゃったんですけど、あの、えーと、告発者の方(西播磨県民局長)が「一死をもって抗議したい」と。
その「一死をもって抗議する」という意味は、知事はご存じですか?
斎藤知事:あの・・・。あの・・・、元県民局長が、あのぉ、亡くなられたことについては、心からお悔み申し上げたいと思ってます(幾度か頷いて黙り込む)。
議長:よろしいですか?
斎藤知事:先ほどのあの、喫茶店の件で補足ですけれど・・・。
何と、斎藤知事は逃げ場のない決定的な質問「一死をもって抗議」への返答を胡麻化して「先ほどの、あの、喫茶店の問題」という、どうでもいい話題に挿げ替え、その後30秒ほどだらだらとしゃべり倒し、その場の空気を誤魔化したつもりになっている。
あらゆる有権者が、何度でもこんな様子を録音、録画で確認できる状態になっている。人間として最低という表現をここでは躊躇なく選択せざるを得ません。
庄本議員:「一死をもって抗議する」という意味は、知事はご存じですか?
斎藤知事:お悔み申し上げたいと思ってます・・・。先ほどの喫茶店の件の補足ですけれども・・・。
このやりとりは、質問に対する答えになってますか?
なっていませんね、どこからどう見ても。自分が死に追い込んだ、年齢もキャリアも人物も、はるかに勝る県民局長の「一死をもっての抗議」を、お茶を濁してやり過ごそうとしている。
こんな体たらくでも、何とか「切り抜けられたらよかった」というのは、弁護士との想定問答集があるからでしょう。
「県民局長」と問われれば「お悔み」と、壊れたテープレコーダー反応で後は喋らない。そこで思考停止する心理機制になってしまっている。
その通りパフォーマンスすることが自己目的化している。
この種の反応してしまう人材が、東大合格型ガリ勉学習を続けてきた人には残念ながら一定数います。
もっと正確には「19~20世紀の東大入試なら胡麻化して合格できた、丸暗記=思考停止学習・条件反射」で、人生の成功体験が実現したと勘違いしている人です。
その典型が斎藤知事の答弁という形で露呈しているように思います。
「自分が人間として有権者からどう見られるか」といった等身大の感覚、血の通った実感ある理解は一切介在しない。
税務署の申告書類のように、事務的に文字を並べて「OKならOK」という、人の心情が一切抜け落ちた「正解丸写し」でOKというのが、超「低EQ」の原点です。
そういう20世紀型お勉強に過剰適応した学生たちと、今まで26年間、私自身かなりの数、ほかならぬ東京大学で向き合ってきた現実があります。