塁上で起きた大谷翔平のほっこりする話

 試合は3回に日本が逆転し、中盤以降は着々と得点を重ねていく。それでもチェコは粘り、コールド負けを回避。9回を戦った。試合は10-2で日本が勝利した。

 この試合の4回表。大谷は3度目の打席に立ち、ライトに二塁打を打って出塁すると、すかさず盗塁を仕掛けて三塁に進んだ。ここでチェコは投手を交代し、投球練習のためのインターバルタイムに入った。

 ここで、スモラは企みを実行に移す。のちにスモラは、「この十数秒が私の人生を大きく変えた」と語っている。

 サードを守っていたスモラは、すかさず塁上にいた大谷に歩み寄り英語でこう声を掛けた。「背番号が同じだね」。大谷は笑顔を返してきた。スモラと大谷は、同じ16番を背負っていた。二人が会話を交わす様子は、テレビ中継の映像にも映っている。

「(試合が終わったら)記念にサインをもらえないか」

 真剣な表情で頼んでくるスモラに、大谷は「だったら僕のユニフォームをあげるよ」と言ってくれたという。感激するスモラ。幸福な時間はそこでいったん終わり、そのまま試合は進んでいった。

 試合後、大谷はなんとその約束を忠実に果たそうとした。ベンチ裏でチームスタッフに自分の脱いだユニフォームを預け、「チェコのサードの選手に渡してほしい」と頼んだという。

 だが、野球にはサッカーの国際試合のような、試合後にユニフォームを交換する習慣がない。そして、このWBCで代表選手に用意されたユニフォームは各自2着のみ。彼らはその2着で、マイアミで行われる決勝戦まで戦い抜かなくてはならない。さすがに個人の意思で譲り渡すことは許されなかった。

 それでも「いいから渡してくれ」と言い張る大谷を、ようやくスタッフが説得。結果的に大谷のユニフォームがスモラに届くことはなかった。

 この日本のベンチ裏で繰り広げられたやり取りは、のちにスモラ自身にも伝えられている。スモラの職場の同僚だった会計士の斉藤佳輔が日本代表の栗山英樹監督(現・北海道日本ハムチーフ・ベースボール・オフィサー)と会った際に、「実はあのとき、こんなことがあって」と聞かされたからだ。

 それが人間・大谷翔平の姿勢であり、メジャーリーグのスーパースターとしての心意気なのだろう。この斉藤と栗山の邂逅についてはのちに触れていこう。

チェコ戦の大谷翔平。三塁ベース上でのやり取りがチェコ代表を大きく変えた(写真:CTK Photo/アフロ)チェコ戦の大谷翔平。三塁ベース上でのやり取りがチェコ代表を大きく変えた(写真:CTK Photo/アフロ)