グラウンドの上で華々しく活躍するプロ野球選手たち。球場で、あるいはテレビで見ている者にとって、彼らは才能に恵まれたスーパースターに見えるだろう。しかし、スターは何の苦労もなく作られたのではない。『起死回生 逆転プロ野球人生』(中溝康隆著、新潮新書)には、逆境に歯を食いしばり野球人生にしがみついた30人の男の生き様が描かれている。
(東野望:フリーライター)
筋金入りの野球ファンから見た選手たちの運命
本書の著者・中溝康隆氏は1979年生まれのライター兼デザイナー。著書には『プロ野球死亡遊戯』(文春文庫)や『原辰徳に憧れて』(白夜書房)など野球に関係した本が多く、「文春野球コラムペナントレース2017」では、巨人担当として初代日本一位に輝いたほどの“筋金入り”の野球ファンである。
そんな野球に造詣の深い著者が書いた本書のテーマでもあり、文中にたびたび登場するのが以下のフレーズだ。
男の運命なんて一寸先はどうなるかわからない
どんな選手にも、活躍の陰には並々ならぬ努力と挫折、さらには“運”に翻弄されたドラマがある。順風満帆に思えても、一寸先には思いも寄らない運命が待ち受けていることもあるのだ。そしてそれは、野球選手だけでなく市井に生きる我々にも言えるのではないだろうか。
超高校級サウスポーは野球界で2度死んだ
最初に紹介されているのは、1985年にプロ入りし、2002年まで球界で活躍した遠山奬志氏(1998年までは「昭治」と表記)だ。高校時代は「超高校級サウスポー」として鳴らし阪神に入団。「あらゆる記録が江夏以来の快挙」ともてはやされた。
しかしその後調子を落とし、ロッテへ移籍後のプロ10年目で野手に転向するも、ついに戦力外通告を受ける。スカウト就任要請のオファーも届いたが、遠山氏は現役選手としての未練を捨てきれなかった。
そんな時に受けた阪神のプロテスト。ダメ元で受けたピッチャー枠で、まさかの合格通知が届く。
一度クビになった身、与えられた場所で自分の仕事をしようと腹をくくった。
野村監督の下、もはや中継ぎでもなんでもかまわないとがむしゃらに投げまくった遠山氏は、1999年にカムバック賞に輝き、さらに2000年には初のオールスターゲームに出場するまでになった。
サウスポーは二度死ぬ――。一度目はプロ10年目の野手転向で。二度目は30歳の戦力外通告で。いわば、「虎の野村再生工場」の最高傑作が、地獄から生還した遠山奬志だったのである。