江戸時代まで富士山の吉田口2合目付近には「女人結界」があった(写真:gu3ree/Shutterstock.com)
ジェンダー平等が社会の常識となり、「性別を理由に排除すること」への視線はかつてなく厳しくなった。だが日本には今も、女人禁制を守り続ける聖域や祭礼がある。背景の一つが女性に対する厳しい制約を課してきた仏教の存在だ。日本における女人禁制に仏教がどのような影響を及ぼしてきたのか、そして解禁に向けた動きはどう進んできたのか。
(*)本稿は『欲望の仏教史』(鵜飼秀徳著、SB新書)の一部を抜粋・再編集したものです。
(鵜飼秀徳 僧侶・ジャーナリスト)
「血の穢れ(不浄)」の忌避と「五障」の思想
日本の仏教・神道における、女性に対する制約の代表例は「女人禁制」であろう。女人禁制とは、山岳霊場などへの女性の立ち入りを禁止する宗教的慣習のことである。起源は古く、平安時代まで遡るとされる。その実、ジェンダー平等が叫ばれている昨今でも、一部の祭祀や宗教空間で女人禁制のしきたりが続いている。
まず、なぜ女性が特定の宗教空間に立ち入れないかといえば、大きく分けて2つの理由がある。
1つは、月経や出産などに伴う「血の穢れ(不浄)」への忌避である。もう1つは、男性の修行者の中に女性が混じると、性的な欲望によって修行が妨げられるため、あらかじめ修行空間から女性を排除しておく(「不邪淫戒」を守る)とする考え方である。
さらに、釈迦の入滅後に「五障」の思想が広がり、これが『法華経』などの一部の経典に取り込まれたことも、女人禁制に影響を与えたとされている。五障とは古代インドの女性観から発生したもので、「女性は5つの最高位、梵天王、帝釈天、魔王、転輪聖王、仏には到達できない」とする教説である。
五障について触れている経典としては、『法華経』のほかにも『大般若経』などが存在する。ただし、5世紀に鳩摩羅什(くまらじゅう)によって漢訳された『法華経』の中では、女性が成仏できないことに対する反証も記されている。
そこでは、龍王の8歳の娘(龍女)が、釈迦の弟子である舎利弗(しゃりほつ)らの前に宝珠を供えたところ、瞬時に成仏したと語られている。ただし、「龍女は女性のままで成仏できる」とする解釈と、「龍女が成仏するには男性に転じる(男性器を身につける)ことが条件(変成男子)」とする解釈とに割れている。
こうした女性蔑視的な考え方を前提として、中世の日本では、女性でも救われるという「女人救済」「女人往生」の思想に結びついていったのも事実である。
さて、わが国における女人禁制の歴史を見ていこう。
