日本仏教史上初の出家者は女性

 日本仏教史上初めての出家者は、善信尼という女性であった。時は、仏教受容を巡って蘇我氏と物部氏が争っていた584(敏達天皇13)年。蘇我馬子は司馬達等の11歳の娘、嶋を剃度(ていど)させ、法名を善信尼と号させた。同時に禅蔵尼・恵善尼の2人も出家した。

 馬子は自邸に仏堂を建立し、3人の尼僧を中心に法会を行わせた。後に善信尼らは百済へ渡航して受戒を受け、正式に比丘尼となった。

 馬子が、最初の出家者に女性を選んだ理由は、古来の日本では「巫女」、つまり神聖なる女性こそが神々と交信できるとするシャーマニズムの世界観が存在し、わが国の初期仏教でも「巫女」的女性を立てたかったからと推測できる。

 善信尼・禅蔵尼・恵善尼の3者同時出家は、「尼僧サンガ(集団)」の出現でもあった。それは、後の国分尼寺や尼僧の庵など、女性僧侶のためだけの宗教的アジール(聖域)の出現につながっていく。これが、後に男性僧侶の世界から隔絶し、男性優位の仏教が形成されることにつながった側面もありそうだ。

 奈良時代、国分寺と国分尼寺が並列してつくられる。一見それは、国家が男女平等の扱いをしているように見える。だが、実際には格差が生じていた。

 比丘は250の戒を守るだけでよかったが、比丘尼は最大500もの戒を守る必要があった(発足当初は348戒であったが、後に500戒まで増加)。比丘尼戒が多く設定されたのは、男性との接触、肌の露出を防ぐための衣服の規定、外出の制限、八敬法(はっきょうほう)による男性出家者への敬いなどの項目が設けられていたからである。

 八敬法とは釈迦の時代に設けられた、女性が出家する際の条件である。例えば、「比丘尼は何歳になっても、比丘に対して合掌して礼拝しなければならない」「比丘尼は半月ごとに、比丘から教えを受けなければならない」「比丘尼サンガの決議において、比丘が承認しなければならない」などと決められている。