八敬法などの影響もあって、尼僧は律令国家における要職の僧綱にはなれなかった。7世紀以降に成立した山岳仏教も女人禁制に影響を与えた。修験道の祖である役小角(えんのおづぬ、役行者=えんのぎょうじゃ)は、吉野山・葛城山・大峯山などの山岳地帯を修行の場として開いた。
富士山でも「浄穢の境」が明確化
また、788(延暦7)年には最澄が比叡山山中に草庵を構え、天台宗を開いた。816(弘仁7)年には、空海が高野山に密教道場である金剛峯寺を開いた。
山岳での修行は、山を歩くことで神々を感じ、清浄なる自然と同化する。そのため、修験者は女性の月経や出産に伴う「血の穢れ」を嫌った。女性を「斎戒(心身を清め、規範を守って慎む)」を乱す要因とみなしたのだ。
そして、霊山の登り口に「従これより是女人結界」などの碑を置き、男性修行空間と俗界の境を可視化したのである。
例えば、修験道の聖地である大峯山や天台宗の比叡山は、山全体を女人禁制とした。その結界(女人結界)の部分には「女人堂」を設け、女性信者らはそこで祈った。女人堂では護符などの授与や護摩、法要などを有料で受けることができた。
大峯山女人堂は現役の女人結界としての役割を受け継いでいる。高野山では7つある登山口に女人堂を設けて、それぞれを結ぶ女人道を整備。この女人道で女性らは祈りを捧げた。現在では「不動坂口女人堂」が唯一、現存する女人堂で、和歌山県の指定文化財に指定されている。
室町時代に入り、山岳聖地の整備が整えられると、参詣者が爆発的に増えていく。北陸では白山や立山が、東国では富士山が、東北では出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)が、山岳修行の場を提供した。そこでも「浄穢の境」が明確化され、山岳聖地での結界運用が地域の常識になっていったのである。