寺社の境内にある奉納相撲のための土俵
(鵜飼秀徳 僧侶・ジャーナリスト)
高市早苗首相の誕生とともに、大相撲の土俵への女性の立ち入り制限の話題が再燃している。過去には女性政治家が土俵に上がることを拒まれ、議論百出となった。土俵上は、今なお「女人禁制(女性の立ち入りの禁止)」が敷かれたままだ。
宗教的しきたりと、ジェンダー平等はどうバランスをとっていくべきか。わが国における女人禁制の歴史を踏まえながら、論じていきたい。
土俵の女人禁制を巡る問題に最初の矢を放ったのは、女性初の官房長官を務めた森山眞弓氏(故人)と言われている。
森山氏は労働省(当時)婦人少年局長だった1978(昭和53)年、日本相撲協会に女性排除の根拠を質した。協会側は「女性差別の意図ではなく、土俵は裸にまわしを締めて上がる男の鍛錬の場。そうした大相撲の伝統を守りたい」と回答した。
政治家に転じた森山氏は1990(平成2)年、女性初の内閣官房長官に就任。すると、初場所の土俵上での内閣総理大臣杯の授与を希望した。だが、協会はこれを認めず、森山氏は「女性を不浄扱いするのは差別」として不快感を示した。ここに初めて国家の儀礼と、宗教の秩序が正面衝突したのである。
記憶に新しいのは、大阪府知事(2000〜2008年)を務めた太田房江氏と、相撲協会との対立劇である。太田氏本人が綴ったブログによれば、在任中8回にわたり協会側に「今回はどうか」と照会したが、いずれも受け容れられなかったと記している(2018年4月12日)。
土俵の女人禁制を巡っては、人命に関わる事態にも発展した。
2018(平成30)年4月、京都府舞鶴市で行われた大相撲春巡業で、男性市長が土俵の上で挨拶していた際に脳出血で倒れた。この際、観客席から複数の女性看護師が心肺蘇生のため土俵に上がったところ、行司が「女性は土俵から降りてください」と呼びかけたのだ。人命よりも、大相撲の慣習を優先した徹底ぶりであった。
この対応は世間の非難を浴び、相撲協会は謝罪を余儀なくされた。相撲協会の八角信芳理事長は「不適切であった」「大相撲は女性を土俵に上げないことを伝統としてきたが、人の命にかかわる状況は例外中の例外」とした談話を発表し、わずかながら「譲歩」した。
しかし、なぜここまで頑なに相撲協会は、土俵の女人禁制を主張するのだろう。