大峯山の女人結界門の前で手を合わせる女性信者。これより先は女性は立ち入れない(写真:時事)
ジェンダー平等が社会の常識となり、「性別を理由に排除すること」への視線はかつてなく厳しくなった。だが日本には今も、女人禁制を守り続ける聖域や祭礼がある。背景の一つが女性に対する厳しい制約を課してきた仏教の存在だ。日本における女人禁制に仏教がどのような影響を及ぼしてきたのか、そして解禁に向けた動きはどう進んできたのか。
(*)本稿は『欲望の仏教史』(鵜飼秀徳著、SB新書)の一部を抜粋・再編集したものです。
【前編から読む】
あの富士山も「女人禁制」だった——立山、白山…なぜ霊山は女性を拒絶したのか
(鵜飼秀徳 僧侶・ジャーナリスト)
国際社会から「女性蔑視」とみなされることを恐れた
女人禁制が撤廃されたのは、明治維新時の神仏分離令発布後のことである。1872(明治5)年3月、女人結界の解禁の太政官布告が出された。
《神社仏閣ノ地ニテ女人結界ノ場所有之候処、自今被廃止候条、登山参詣等可為勝手事》
[神社仏閣の境内地に設定されている女人結界は、これをもって廃止する。女性の登山や参詣は自由にしてよい]
女人禁制が撤廃された背景には、鎖国が終わり、お雇い外国人らが日本に入ってきたことが大きい。明治政府は、各地で続けられていた女人禁制が国際社会から「女性蔑視」とみなされることを恐れたのである。
この布告を受けて、原則的には女人禁制が廃止された。女性の山岳参詣・登拝は解禁へ向かった。もっとも、この太政官布告の日を境にして、全面的に解禁になったわけではなかった。霊山を守る宗教共同体(講社)や祭祀主宰者によっては、女人解禁に抵抗を示し、女人禁制を存続させるケースも少なくなかった。
講社の対応としては「全面解禁」「部分的解禁」「通年禁制」の3つに収斂されていった。それでも、明治末期には多くの女人禁制が「全面解禁」されていった。
だが、布告を経ても、現在まで通年禁制が敷かれている場所がある。大峯山(奈良県吉野郡)系にある山上ヶ岳である。
