女人禁制撤廃求める「強行登山」グループをどう説得したか
同じ大峯山系でも稲村ヶ岳などの一部では女性も入山可能となり、「女人大峯」と呼ばれている。
山上ヶ岳における女性の全面禁制維持は、その後、しばしば「強行登山」のトラブルを生じさせた。1946(昭和21)年7月、近畿登山協会の創設者らを含む団体が、女人禁制の撤廃を求めて女性を含む約30名で登山を試みた。進駐軍に所属するアメリカ人女性たちと通訳が参加し、
「自分が登ることが日本人女性の地位向上につながる」
と主張し、強行突破を図った。そこで地元講社のメンバーが、
「女人禁制は、女性差別でも女性蔑視でもない。アメリカにも修道院があるように、大峯山は男性だけの修行の場だ。あなたが登山を強行したら、信者の暴動を招き、結果的には日本の女性は不幸になる」
と説得した。一行は納得して山を下りたという。
また1999(平成11)年、性差別反対を訴える女性グループが結界門を越えて登山を強行した。大峯山側は「信仰者の心を踏みにじる遺憾な行為」と非難し、女人禁制の堅持を改めて表明している。
現在、かつての女人結界の場であった母公堂の脇に、「登山者へお願い」と書かれた大きな看板が立てられている。そこには、こう記されている。