私が初めてイスラエルに行った2003年は、イスラエル軍とパレスチナのテロ組織ハマス、ファタハなどが第2次インティファーダと呼ばれる武装闘争を繰り広げている真っ最中だった。ヨルダン川西岸やガザ地区からのテロリストたちが、エルサレムやテルアビブのレストラン、喫茶店、商店街、リゾート地、バス停留所などで自爆テロを頻繁に行っていた。ある朝、イスラエルの英字新聞を広げると、1ページ全体に写真が印刷されていた。パレスチナのテロリストに爆破された乗り合いバスの残骸だ。バスの骨組みからは、イスラエル人の遺体がぶら下がっている。自分の乗ったタクシーが乗り合いバスの横を通る時には、いつこのバスが爆発するかわからないと思って、肝を冷やした。

 当時エルサレムやテルアビブのレストランや喫茶店の入り口には、ウージー型短機関銃を持ったガードマンが立ち、店に入る前にショルダーバッグの中身を見せなくてはならなかった。ホテルの入り口にも金属探知機が置かれていた。テルアビブの地中海に面した遊歩道では、自動小銃を持った兵士たちが常にパトロールしていた。海岸で散歩をする市民たちは、兵士たちに握手を求め、「どうも有難う」と声をかけていた。

 私は初めてエルサレムに行った時、イスラム教徒が多い、町の東部のアラブ人が経営するレストランで食事をした。アラブ料理店が自爆テロリストに狙われる危険は少ないと考えたからだ。この頃のエルサレムでは、自爆テロの危険のために、閑古鳥が鳴いていた。エルサレムのホテルの中には、三泊すると、二泊目は料金が50%、三泊目は無料になるホテルもあった。

多くの市民が「国防」に前向きだった

 当時イスラエルでは、入国する時よりも出国する時の検査の方が厳しかった。テロリストが空港や航空機の中で爆弾テロを行うことを警戒していたからだ。まずタクシーでベングリオン国際空港に通じる検問所に着くと、M16型自動小銃を持った兵士たちがパスポートを調べ、タクシーのトランクを開けて点検する。空港では、トランクをX線検査機に通した後、全てのトランクを開けさせて係官が中身を徹底的に検査した。私のトランクから、係官はチューブ入りの歯磨きや目覚まし時計を取り出して、入念に検査した。チューブ入りの歯磨きは、可塑性の爆薬である可能性があるからだ。

 さらに、係官による面接もある。職業は何か、イスラエルでは誰に会ったかを説明しなくてはならない。イスラエルでのアポイントメントの一覧表や会った人の名刺の提示を求められた。ヨルダンなどイスラム教徒が多い国のスタンプがパスポートに押されている場合、なぜヨルダンに行ったのかを説明しなくてはならない。

 外国の空港で働く係官たちは、しばしば退屈そうにしているが、イスラエルは違った。彼らは「自分たちは国を守っているのだ」という情熱に燃えているかのように、真剣に働いていた。

 イスラエルの多くの企業には、万一の時に避難するための窓がない部屋が用意されており、食料や水、ガスマスクが置かれていた。ドアと戸口の間はゴムで目張りされて、外気が入らないようになっていた。イランなどの敵国が化学兵器を搭載したミサイルでイスラエルを攻撃する事態に備えるためだ。

 イスラエルは私が訪れた国の中で、多くの市民が「国防」に前向きなこと、必要不可欠なものと見なす傾向が最も強い国だった。当時イスラエル市民の男性には3年間(現在は2年8カ月)、女性には2年間の兵役義務があった。しかし大半のイスラエル市民は、まるで軍隊がボーイスカウトかガールスカウトだったかのように、「軍での勤務は楽しい経験だった」と語った。

 イスラエル軍で敵国のサイバー攻撃からの防御や敵国へのハッキングを担当する8200部隊に所属した市民の中には、軍で学んだ知識や培った人脈を生かして、退役後IT企業を起業する者も多かった。イスラエルが世界でも有数のIT立国、スタートアップ国家になった背景には、軍と経済界の間の密接な関係がある。

自爆テロを大幅に減らしたガザ地区の「壁」

 第2次インティファーダが続いていた頃、イスラエルのメディアは、「自爆テロのうち70%は未然に防がれている」と報じていた。イスラエルの国内諜報機関シン・ベトはテルアビブ郊外の情報センターで、テロ組織のメンバーの電話の盗聴、銀行口座の動き、監視カメラの映像などからの情報を総合し、大半の自爆テロ計画を防ぐことができたというのだ。シン・ベトがパレスチナのテロ組織の中に持っていたスパイ、協力者からの情報も、テロ回避に役立ったことは言うまでもない。

 だが自爆テロを減らすためには物理的な分離が必要と考えたイスラエルは、パレスチナ人が主に住む地域とユダヤ人が多い地域の間に壁を建設して、ヨルダン川西岸地区やガザ地区からの自爆テロリストの侵入を防ごうとした。イスラエル政府は2002年に全長708キロメートルの壁の建設を開始した。かつてイスラエルはガザ地区にも軍の拠点を置き、入植地を持っていたが、2005年9月には軍をガザ地区から撤退させ、入植地も閉鎖した。ガザ地区はフェンスで囲まれた、「天井なき牢獄」となった。

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