(科学ジャーナリスト:添田 孝史)
28年前の1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起きた。地震に対する「安全神話」は崩され、活断層への防災対策が注目されるようになり、活断層地図などの整備が進んだ。
それでも、ひとたび活断層がずれ動けば、まだ多くの人たちが犠牲になるだろう。さらにきめ細かな対策が、今、求められている。
安全神話が崩れた1995年
内閣府の防災白書(令和4年版)(図1)を見ると、1950年代までは、毎年のように死者・行方不明者1000人を超える災害が起きていたことがわかる*1 。
利根川流域を中心に2000人近い死者・行方不明者を出したカスリーン台風(47年)、福井平野の直下で起きたマグニチュード(M)7.1の福井地震(48年、死者3769人)、愛知・三重を中心に高潮氾濫で死者・行方不明者5000人以上となった伊勢湾台風(59年)などだ。
それが60年以降はパタっと減った。80年代後半には、すべての自然災害を合わせても、死者不明者は計数十人という年が多くなった。
「もう、日本社会は災害に対して強くなった」
「災害対応のハードもソフトも充実した成果だ」
人々はそう思っていた。専門家でもそう公言する人は多かった。
しかし、それが「安全神話」に過ぎないと見せつけたのが、阪神・淡路大震災だった。そして震災を引き起こした「活断層」という存在が、広く知られるようになる。
*1 内閣府 防災白書令和4年版 附属資料7 自然災害による死者・不明者数(https://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/r04/honbun/3b_6s_07_00.html)